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( 11 ) 浅谷さんの症状は,入院して少量の酸素を吸入することで軽減した。追加の検査所見を確認しても前月と著変はなく,心エコーでも心嚢液の増加はみられない。したがって酸素吸入は,ほどなくして止めることも可能であったが,しっかり落ち着くまで継続することにした。 今回あらたに認められたのは背部痛で,手持ちの消炎鎮痛薬を服用してもほとんど効果はなく,その痛みと募る不安が呼吸困難の誘因のようであった。 背部痛は骨転移によるものと考えられ,下田先生と相談した結果,今後は疼痛コントロールにオピオイドを導入することになった。 「背中が痛むということは,どうも骨に転移しているようです。きょうからオピオイドという痛み止めを使いますよ」 浅谷さんも自分なりに調べて予想していたらしい。 「やっぱり転移ですか。とうとう麻薬を飲まないといけないのですね・・・」 入院して三日目の午後,浅谷さんの夫にムンテラした。骨転移の疑いとオピオイドの開始について説明を終えると,ご主人から問いかけられた。 「ミズは・・・心臓のまわりに溜まっている水は,どうなったんでしょう?」 「心嚢液の量は,先月の退院時とそれほど変わりはありません。それに一度ドレナージを行なうと,溜まりにくくなる場合もありますから・・・とにかく今は,痛みのコントロールのほうが大事です」 「正直なところ,家内はあと,どれくらい生きられるんでしょうか?」 よく家族から訊かれる質問である。 「人の命のことは,医学的な病態のみで予測できるものではありませんが,強いて言うなら経験的には,あと三か月から数か月というところでしょうか」 「こんなに医学が発達しているのに,どうにかならんのですか?」 「浸潤や転移があって,手術のできない進行がんの治療に関しては,いまだに限界があるんです。治すための有効な手段がなくなった場合,あとは症状をいくらかでも和らげる治療しかありません。いわゆる対症療法で,最近では緩和医療と呼ばれています」 旦那さんは観念したようにデスクに目を落とした。 「家内には,余命のハナシはしないでください。あいつは神経質でいろんなことを気にするタチだから,数か月と聞いたら立ち直れないかもしれない」 返事をしないで,かまわず次の話題に...