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(4)    ほんの小さなことが人生を左右する。 つらつら思いかえすと,そう気づかずにはいられない。どこかの時点で異なる選択をしていたなら・・・ふたりには,けっしてめぐり逢えなかったことだろう。もちろん裕子にも。        医学生にかぎらず,長い生涯において一浪はハンデでもなんでもない。ただし,それは入学後の道のりが順調であった場合のこと。 学生の本分を尽くした・・・などとはスズメの涙ほども言えやしない。 わたしは最終学年では不本意な留年を,医師国家試験でもミジメな浪人生活をあじわい,かなりの回り道をして医療の現場に飛びこんだ。 たしかに望ましいことではなかったが,かといって私はいささかも後悔なんぞしていない。   あのころ・・・学生の身分をいいことに,自身の根本にかかわる哲学的問題と真正面から向き合っていた。手掛かりが得られてからも習癖はなかなか正しがたく,授業や臨床実習の学業には思うように身が入らなかった。 この体たらくから早く抜け出さなくては・・・そう考えながらも下級生と机を並べたくはなかった。で,留年中は社会勉強と称して医学部から遠ざかりバイト三昧の日々・・・当然というか必然というか,稼いだ金は酒代へと消えていった。 再度の最終学年,3月の初めに,教授会による判定会議が行なわれて何とか卒業が決定,ようやく学生生活にピリオドを打てることになった。国家試験を一か月後にひかえ,多少の無理があっても新しい環境で再出発しようと自らを奮い立たせる。いくぶんかは苦労かけどおしの母のことも気にかかった。それで,ともかく地元にかえって働く意志をかためたのだった。  診療科の選定には,さほど迷うことはなかった。マイナーな科には興味がわかなかったし,手術は共同作業みたいで嫌だったし,子供は大の苦手であったから。いずれの内科にいくか・・・なんら有用な情報を持たず,選んだというより行きあたったと言ったほうが妥当,また記載された一番目を避けるという根拠のない衝動にかられることもなかった。 入局を申し込んでみると,なんと卒業式の当日,時間厳守で面接に訪れるよう指示を受けた。晴れがましいところへは出たくもない・・・じつに好都合ではないか。 その日は,忘れもしない3月 22...