( 10 )


10

 

 2010年4月,私は54歳になった。

さいわい先月の心カテ以降,発作らしい発作は起きていない。また造影結果がこころの負担を少なからず軽減してくれたのも偽らざる事実である。

 

誕生日の朝,裕子がお祝いにロケットペンダントを贈ってくれた。ニトログリセリンを入れられるという・・・なるほど,ニトロを携帯するには便利だ。出勤前であったので当日よりさっそく使用する。

 その日は火曜日で,午前中は技師の協力のもと予約検査を行なった。心エコー検査を13名,そのうち3名は運動負荷試験であるトレッドミル検査も併せて実施した。

午後2時からは再診外来。その日は老年期にさしかかった,いわゆるシニア世代の女性が受診する予定であった。名前は・・・浅谷富子さん。例によって腫瘍内科の下田先生の外来からファイルが回ってくる。

受付け順に予約患者を診ていき,9番目に浅谷さんを呼び入れた。

「先生,こんにちは」

「こんにちは」

「きょうは,午後一番でCT検査がありまして,さきほど下田先生から結果を聞きました。でも,ダメでした。大きくなっているって言われました・・・」

 浅谷さんは今年65歳,2年ちかく肺がんと闘っている。本来ならば,私の外来を受診する必要はないのだが,本人の希望で腫瘍外来と循環器外来の両方にかかっている。

もともとは高血圧症で開業医に通院していた。それが,おととしの5月20日の午後,心房細動という不整脈の頻拍発作をおこして当院に紹介され,そのさい循環器外来を担当していたのがこの私であった。

初回発作のときにはだれでも強い不安をいだくもの・・・浅谷さんも例外ではなかった。診察したとき,胸の不快感や息苦しさの症状よりも気持ちの動揺のほうが激しい印象で,息を数回吐くごとに『なんとかして!』と訴えるようだった。けれども患者自身の懸念は案外に的外れとはいえず,胸部X線で軽度の心不全所見がみとめられ,心エコーを行なってみると,少量から中等量の心嚢液が全周性に貯留していたのである。

病状を説明し,ただちに入院治療が望ましいことを宣告する。浅谷さんは肩で息をしながら『ほらね,なにか変だとおもったわ』とでも言いたげな表情をこしらえて,そこに安堵と感謝の色を浮かべていた。

入院当日から投薬をはじめると翌日には不整脈も心不全も速やかに改善し,浅谷さんは病室で時間をもて余すほどに元気になった。ところが,運命の女神に見放されたとしか言いようがない。

念のために施行した胸部CTで,右肺の上葉に小さな腫瘍性病変が見つかったのだ。しかもサイズはさほど大きくないにもかかわらず,周囲の縦隔と心膜に直接浸潤している所見および傍気管リンパ節の腫大がみとめられ,肺がん以外の疾患は考えにくい。したがって心嚢液は癌性の可能性が非常に高くなり,浅谷さんは退院どころではなくなった。

6月,胸部外科に転科,胸腔鏡下に肺生検および心膜開窓術がおこなわれ,最終的に肺腺がんと診断された。予想されたことではあるが,縦隔・心膜浸潤および癌性心膜炎合併のため手術の適応はなかった。

それ以来,浅谷さんは腫瘍内科で薬物療法すなわち抗がん剤治療を受けていて,およそ1年後の昨年7月より,副作用死の問題で目下裁判にて係争中の分子標的薬イレッサによる治療が開始となった。

 切り札のイレッサは,飲みはじめた当初は期待どおりに十分な効果が認められた。だが,いずれ耐性がかならず出現するといわれている。電子カルテで検査データを確認すると腫瘍マーカーも上昇していた。どうやら効き目がなくなる日がとうとうやって来たらしい。

「それで先生,イレッサは中止するって言われたんですけど,止めたらどうなるんでしょう?」

 イレッサを服用してからというもの,浅谷さんの顔には吹き出物が絶えなかった。症状のなかでも最も深刻なのは指先だ・・・爪はボロボロにくずれ,周りはひどく爛れて,亀裂のような深い傷もできている。

命が延びるとおもえるから我慢できるにしても,副作用の皮膚障害はあまりにも重篤で,肺がんに対する効果が見込めなくなった時点で即刻服薬を中止するのが妥当というもの。

「ふつうは・・・すこしずつ進行していくでしょうね」

「そうですか,やっぱり進みますか・・・仕方ないですよね」

 副作用から解放される安堵感のせいか,実情を告げても大して落ち込んだ様子には見えなかったが,その胸の内は複雑で哀しいものであっただろう。

二年前の入院時のことを思いかえす・・・浅谷さんが胸部外科へ転科するさい,手渡された封筒には一筆箋が添えられていた。

 

青海先生へ

 

先生,大変お世話になりました。肺の病気も発見され,驚きと

ともにまさかと思いましたが,何ごとも平等に与えられることを

知りました。そして,自分の周囲を見まわすことができ,家族の

きずなも深まりました。感謝します。外科病棟で未来を信じ頑張

ります。

先生とは,この先もよろしくお願いいたします。

                         浅谷富子

 

 診断が確定したのちは再び内科に転科となり,肺がんの治療は腫瘍内科の下田先生のもとで行なわれた。

その後,退院してからは循環器外来で,浅谷さんの高血圧と不整脈の管理をしているというわけである。

まあ管理といっても,これまでは何もなかった。薬の処方内容も2年前となんら変わらない。心房細動の頻拍発作も起きていない。

通常,不整脈などの問題が起こらないかぎり,循環器科を再診することはないであろうが,しかし浅谷さんは下田先生の外来を受診したあと,きまって私の外来に顔を出し,まるでアドバイスを求めるみたいに報告をする。

じつは,いつ心臓にトラブルが再発するか分からないので,定期的に診てほしいと本人から頼まれたのだった。それを了承したというのに,今ごろになって手のひらを反すような診療拒否はしたくない。

その日も浅谷さんの報告に耳を傾けていたけれど,きちんと理解するには情報が不足している。それで毎回のごとく,カルテの検査結果などを確認しているうちに時間が過ぎてしまうのだ。

げんに闘病生活を送っている人と真摯に向き合い,制限された中で適切な助言をすることは生易しいことではない。そのうえ私はガン診療に慣れていないし,新しい知見にも明るくない。どちらかと言えば,性分にも合わない。

「これからは,先生の外来だけを受診すればいいでしょうか? 下田先生は,しばらく抗がん剤は使用しないで様子をみましょう,って仰ってました」

 とんでもない,と思った。

「そんなことはないです。下田先生は,今でこそ腫瘍内科ですが,もともとは呼吸器内科のドクターですから,治療を受けないときも下田先生の外来は定期的に受診してください」

 心臓には原発性の悪性腫瘍はきわめて稀である。医師になって原発性の心臓悪性腫瘍を一度も診たことがない。それは,循環器内科医として心臓転移の治療には携わっても,原発巣のガン治療には関わってこなかったということだ。

当然ながら,肺がんに侵された浅谷さんの診療をすること自体に,ものすごく抵抗を感じる。あくまで私は従の診療をおこなうのみである。

「でも,先生の外来も受診しますから,ダメだって言わないでください。この外来が・・・わたしには心の支えなんです。ですから,これからもよろしくお願いします」

「わかりました。いつもの薬を出しておきますから,次回も下田先生の外来のあとに来てください」

「ありがとうございました」

丁寧にお辞儀をして,浅谷さんは診察室から出ていった。

 

 奇妙な心持ちにおちいる・・・なんとなく原因は分かっているのだが。

はじめて発作を自覚したあの日以来,日増しに死を意識するようになった。

『死ぬときには自ら命を絶とう』

真子と『サヨナラ』した日に舞い降りてきた一つの思念は,歳月を経るごとに深くこころに刻まれて,もはや生きる誓いに等しいとさえいえるだろう。そして自らに課した使命のような意味合いを帯びている。何があろうとも逃れたくはない。

されど・・・『その時』はいつなのか? 気持ちはじわじわと引き込まれていくけれど,はたしてイツであれば得心がいくというのか?

そんな迷いの中にあるオレが,ガンを患って死の淵に近づいていく人を支えることになろうとは,じつに不思議な巡り合わせではないか!

 

 仕事を終えて帰ってくると,もうテーブルには料理が並べられていた。着替えるあいだに裕子が,冷えたワインを冷蔵庫から取り出してくる。

「きょうは,あなたのためにワインを買ってきたわ」

「いいね」

「辛口の白を探していたら,これがお勧めって言われたんだけど,ホントにおいしいかしら・・・」

「じゃ,飲んでみてのお楽しみだな」

 コルク栓を抜いてグラスにワインをちょっぴり注ぐ。一口含んで飲み干したらサッパリとして口当たりがいい。心配そうな彼女と目が合って,おもわず声を上げる。

「いけるよ! これ」

「よかった」

裕子がふたつのグラスに程よくワインを注いでから,じっと私のほうをみて祝福してくれる。

「あなたの54歳の誕生日に,かんぱい!」

「アリガト!」

キッリーンとグラスの合わさる乾いた音・・・ひびいた音色がまわりの空気に溶け込んでいくわずかな時間に,フラッシュを浴びたように私を取りかこむ世界が,まぎれもなくホンの一瞬間かがやいて見えたのだ。

発作に引きつづき,生死にかかわる事柄をいくつか熟慮せねばならなかったので,どこか思考経路に一過性の機能異常が生じているのかもしれない。

しかしながら・・・よしんばオノレのこころが創りだした幻影であったとしても,この輝きこそ『その時』へのスタートの合図にちがいないと,なぜか私は信じきったのである。


 ナニもない。

私には生きる目的もなければ,守るべき血縁者もいない。この刹那を力のかぎり生きることだけである。だから長生きしたいとは思わない。ただ自分らしく人生の幕を下ろしたいと願うばかりだ。

真子と別れてから,人生の幕引きのときはいつなのか,たえず自己に問いかけてきた。 それは・・・普通に生活しているあいだのことでなければならない。だんじて弱ってからであってはならぬ。

終わりの美学などではない。おそらく罪の意識と関係している。普通のうちであってこそ,罰なのだ。心身ともに弱ってしまったなら,もはや意味も価値も薄まって罰ではなくなるだろう。

 では,どこから普通でなくなるのか?・・・命にかかわる疾病に罹患した時点で,すでに普通であるとはいいがたい。その前段階までが普通の領域といえるのではないか。

ところで,普通の領域の終わるところを前もって見極めることは可能なのであろうか?・・・厳密には否というしかない。普通ではなくなって,はじめて何らかの兆しを見出だすことができる。つまり確証を得たときには手遅れということだ。

であるならば,狭心症をわずらうところまで引き摺ってしまったのは,いちおう致し方ないことと諦めがつく。

肝心なのは・・・知った時点で,成しうるかぎり早急に実行すること。

考える余地はない。本来はそうなのだが,どうにも決心することができないでいた。もちろん今すぐに,というわけにはいかない。それなりの期間と準備が必要である。ところがそういったことではない。心のどこかで逡巡してしまうのだ。

現代では言うまでもなく,狭心症を根本的に治療して,ぎりぎりのところまで先延ばしにする方法が選択できるということ。見方をかえれば医療とは,普通を回復させるためのものであるから,それを利用しない手はないだろう。

だいたい,これまでも先延ばしにしてきたではないか・・・普通でなくなるまでは生きていようと。

一方で,それではいけない,そのようなことではいつまでたっても実行できるはずがない,と叱咤する自分がいる。

優柔不断とはこのこと,いったいどっちへ転べばいいものなのか?

翻って再考してみる・・・今ここで,冠動脈をカテーテルで治しておいたとしても,いずれ心筋梗塞が起きたってちっともおかしくはない。動脈硬化が全身の血管を蝕んでいるから,脳梗塞を合併することだって十分にありうる。さらには腎障害のこともある・・・これから先には,普通でないことが予期せぬかたちで目白押しに控えていると断言しても差し支えないであろう。

畢竟,延ばせるのはここまでなのだ。

ここまで?・・・結論は,元のとおりではないか!

なんという往生際の悪いヤツなんだ。ウンザリしてくるが,考えるうちに好ましいことも一つは見いだせた。

結果オーライ・・・狭心症の発作をおこしても,さしあたり心筋梗塞に進展しそうにはない,イマこそ最適の時期といえる。

であるなら,少なくとも,この時期が過ぎ去ってしまわないうちに事を起こさなければならない。

やはり,きょうを『その時』への出発点としよう。

 

大人になって本気で自らの誕生日を祝ったことはない。けれど・・・今年は違っている。もしかすると,最後のバースデイになるかもしれない。

・・・裕子をハグするようにムネに抱き寄せる。

『いつもありがとう』と,しらずしらず力が入ってしまった。

「あなた,うれしいけど・・・ちょっと痛いわ」

「あっ,ごめん」

腕のちからを緩めると,彼女の頸動脈が柔らかく脈打っている。これからは裕子との時間を大切にしなくては。

「今年は,どこかへ旅行に行ってみようか」

「ホントに!」

「あぁ・・・どこ行きたい?」

「あなたと一緒ならどこでもいいわ」

 

 『その時』へ向かうことを決めてから,なんだか世の中が変わってきた。自分のなかで大事さの価値が変化したからなのだろう。些細なことにも囚われなくなった。

 犀川の夜桜を見に出かけた。さくらは満開をすこし過ぎたころ,散りぎわがいちばん美しい。はなびらが夜風にひらひら舞い落ちる土手にすわった。川の流れる荒々しい音も耳に心地よく響いてくる。

・・・桜吹雪を目にしながら息絶えるのもいい。

そう思ってフッと笑ってしまう。なにをバカなことを考えているのだろう。そんな人目につきやすい処で死ねるわけがないではないか。

それでも,胸に刻むことはできる。

 

夕映えに海の向こうの雲々が真っ赤に染まるころ

舞いおちる色かすかな桜のひとひらひとひら

金色の落陽は水平線のかなたへゆっくりと沈みゆく

 

これが,最期のとき,私がこころに抱く光景だとおもう。

 

迷いは無くなった。

カテーテル治療はまったく受けるつもりはない。抗狭心症薬などを後輩の藤沢に処方してもらっているが,彼から心カテ直後のような抗議を受けることもない。 さて,実際のところはどうであったのか・・・推測どおり,仕事や生活をするうえでは何をやっても発作はおきなかったのである。

 

 

 

 5月のゴールデンウィークはいい天気がつづいた。4日のみどりの日もポカポカ陽気でとても暖かい。3年ぶりに裕子と千里浜をドライブする。

能登有料道路は県外ナンバーの車が多くて混んでいた。普段よりもずいぶん車間を詰めて走らせる。なぎさドライブウェイに下りても多少は混雑していたが,砂浜での駐車に困るほどでもない。

車を停めてみてつくづく思う・・・昔はもっと砂浜が広くて余裕があった。近年,砂浜の侵食対策が声高に叫ばれているのも頷ける。

水平線を見やれば,今のところ雲は少ない。しかし,夕陽が見られるか否かは分からない。日が沈もうとする寸前に,どこからともなく雲があらわれて邪魔することが多いのだ。

あの焼き貝売店で時間をやり過ごそうと車を動かした。なのに,どれだけ探してもおばさんの店舗が見当たらない。

ついに店じまいをしたのだろうか? おばさんはときおり胸の内を漏らすことがあった。

『うちの人がダメになったら,この店もしまうしかないね』

 以前,旦那さんが脳梗塞で倒れたときは大変だったらしい。おばさんは車の運転ができない。仕方なく店じまいすることも考えたようであるが,幸運なことに旦那さんは運転できるまでに回復し,営業をつづけることができた。この店の仕事はけっこう大変で,子供たちも後を継ぐ気はさらさらないとも言っていたから,それからは一年ごとの勝負だったのだろう。

理由は知らないが,焼き貝売店は新規には許可がおりないそうで,後継者がいなければ閉店に追い込まれる。おばさんは,それでお店は減っていくばかりなんよ,と嘆いていた。言われてみれば,海の家はあらたに建てられても,焼き貝売店は少なくなる一方であった。夏になって海の家が開いても私はそこへは入らない。この屋台風のカウンターが断然いいのである。

そういえば,江の島の屋台もなくなってしまったなぁ・・・衛生的な問題なのかもしれない。

 諦めきれずにUターンし,目を皿にして見直しても,どうしたって無いものは見つからない。

「端っこの店にでも入ろうか」って呟いたら,

「わたしは全然かまわないわよ」と,裕子はあっさりとしたものだ。

 入ったことのない店で注文したのは,焼きハマグリだけ・・・なにか物足りない気持ちでハマグリを食べたら,おばさんの味を思い出してしまい,尚更さみしくなった。

人懐っこい笑顔が目に浮かび,あの独特の語り口が聞こえてくる。

『よその店ではワケもあって,しょうゆで味付けしてるけど,わたしはね,貝をそのままで味わってほしいから,ナニもかけずに出しているんよ』

 思い切って,おばさんの店のことを訊ねてみる。

「あそこは今年から辞めたんです。旦那さんが,だんだん身体の自由が利かなくなって,もう続けられなくなったみたいですよ」

 だれしも老いには勝てない。遅かれ早かれ,いずれ辞めなければならないときが来る。そして,きたるべきときがついに来た・・・ということか。

 

 日没の時刻まで粘っていたが,けっきょく夕陽は見られなかった。これからというときに水平線から分厚い雲が湧きあがり,熟する前の太陽を飲みこんでしまったのだ。やむなく砂浜に車を停めて夕焼け雲を見つめていた。なおも心を捉えてやまないものがあって立ち去りがたい。

いつ眺めても飽きない黄昏の空・・・いつの日もそれぞれの顔を見せてくれる。そんなとき,おもう。

・・・夕陽がなくても,それもまた良きかな,人生もまた然りかな。

「旅行は,夕陽が見えるところへ行こうか」

 なくても良いが,できれば夕陽が見たい。

「じゃあ,宮島はどう?」

「みやじま?」

「安芸の宮島」

「瀬戸内海だけど・・・夕陽は見えるのかな?」

「大鳥居と夕陽が,いっしょに写ってるのを見たことあるわ」

 そうか,島に渡れば夕陽が見えるということか。だが,水平線には沈まないはず・・・。

「ヒロコは行ったことがあるのか?」

「ないわよ。だから,ぜひ行ってみたいわ!」

「それじゃ決まりだな」

 よし,宮島に行ってみよう。本州に沈みゆく夕陽もいいではないか。

 

 5月に受診した浅谷さんは,前回よりよほど元気だった。

「イレッサを飲まないほうが体調いいみたいです。じつは先ほど,下田先生から新しい抗がん剤の話があったんですけど,次回まで考えさせてください,って返事してきました・・・どうしたらいいのでしょう?」

 浅谷さんには目下のところ,根治が期待できる治療法はむろんのこと,長期間確実に有効性をもたらす治療法は見出だせない,と言っても過言ではない。また薬物療法がうまく効くならば,ある程度は生き長らえる期間が延びるであろうが,その副作用にも耐えなければならない。

私が患者の立場だったら,イレッサが効かなくなった時点で,従来の化学療法はもちろん,新薬もふくめて薬物療法はいっさい断わることだろう。

死を免れることができないのなら,今を大切に過ごしながら私は死出の旅にでる準備をしていきたい。

「それは,浅谷さんの考え方しだいですね」

「抗がん剤はいやですが,命はもっともっと欲しい・・・これが,わたしの本音です」

根治不能と宣告されたからといって,生きたくても生きられぬ不条理を達観できる人間なんていやしない。ましてや治らないと実感することになれば,なおさら生きていたい思いは強まるのではないか。

「魔法の薬でもあって,それで命を延ばすことができたらいいでしょうねぇ」

「ホントです・・・先生のおチカラで,どうにかならないのでしょうか」

「・・・」 しょうもないことを口走ってしまった。

浅谷さんは人生を知っている。否応なく選択するしかない,納得せざるをえないことをしっかり理解しているはず・・・分かってはいても自分をコントロールできない状況に,本人がいちばん当惑しているのかも・・・。

「先生なら,どうなさるでしょう?」

「ぼくですか・・・ぼくなら,抗がん剤はやめるかな」

「なぜですか? わたしは,すこしでも長く生きていたい」

「じゃあ,もういちど治療を受けてみますか・・・」

「ですけど,また毛がごそっと抜けたり吐き気がしたりするのなら,止めたほうがいいとも思うのです。だいいち効かないかもしれませんしね・・・」

「なるほど・・・」

「先生は,もう死んでもいいって思うのですか?」

「そう,死んだってかまわないかな・・・」

「どうして,そんな簡単に言えるのでしょう?」

「・・・」

「わたしは先生の意見を尊重したいと思っています。ですが,どうしても迷ってしまいます」

「しばらく考えてみたらいいじゃないですか,治療を受けたいのか受けたくないのか,はっきり分かるまで」

「そうですね・・・」

「分かるまで待つことが肝腎ですよ」

「待っていても大丈夫でしょうか?・・・待つことが怖いのです」

「浅谷さん,どちらの方針でいくにしても,ある面ではおもい悩むほどの大差はないような・・・治療を受けても一時しのぎのような気がしませんか? いつかは死と直面しなければならない。 なによりも大事なことは,現状を受けいれて,今できることを精一杯おこなっていくことだと思います」

 浅谷さんは頷いて立ち上がった。

「先生,ありがとうございました。この次まで,はっきり決めてまいります」

「きょうも,いつもどおりに薬を出しておきますよ」

「わかりました。それでは失礼します」

 

 

 

 6月12日,土曜日。

金沢駅から裕子とサンダーバードに乗り,宮島へと向かった。新大阪駅で新幹線に乗り換え,この年になって人生初という広島駅に降り立つと,いくらか若かりし日の修学旅行のような気分になって胸がわくわくしないでもない。

軽く昼食をとってから山陽本線のプラットホームをめざす。

在来線ホームは結構古臭くて,中国地方の中心都市にしては時代に乗り遅れている感が否めない。

乗りこんだ電車もローカル線そのものというイメージであった。

発車してから外のけしきを眺めていると,不意に小学生のころを思いだす。母に連れられて北陸本線の普通列車に乗ったときのこと・・・木造の鄙びた小さな駅に着くまで,ひたすら流れゆく景色を見ていた,あの過ぎ去った日の記憶が重なりあう。

・・・神経を苛立たせて対面の席に座っていた母。思いつめた顔をしていたのは,だれかとうまく折り合いをつけられなかったからなのか? 息抜きに生家に戻っても一向に解決しそうにはない現実に苦しんでいるようだった。

祖母の家は,着いた駅からやや遠くて大きな川を渡った先にあった。祖父は見たことがなかったが,詳しい事情は分からない。祖母はときどき金沢にきていたから,わざわざ遊び相手もいない田舎に行く楽しみは少なかった。そのうち母は生家に帰らなくなった。

車窓から川のむこうに海がのぞまれて頭の中もすりかわる・・・むかし海の見えるところに住みたいとよく思ったものだ。それがいつしか,心が海になればいいのだ,と思うようになった。このごろは住みたいとまでは思わない。海のちかくに住むということがどれほど大変であるか,想像に難くない。ときどき海を眺めることさえできればそれでいい・・・などと,飽きもしないで考えにふけっているうちにマリンブルーが広がって宮島口駅に着いた。

宮島口からはフェリーに乗船,大鳥居に接近するという便で目的の地に着いたのは,午後2時半ちょっと前だった。

 旅館の予約は5月中にネットでしておいた。6月を選んだのは,待っているのが嫌だったのと,夏本番まえで空いていそうな気がしたから。12日に決めたのは大潮の日であったから・・・海に浮かんでいる厳島神社を見るためには,そのときの潮位が重要であるとサイトで知った。

あとは天気である。ちょうど梅雨入りしそうな時期なので,それだけが気がかりだった・・・案の定,いい空模様とはいえない。

広島で電車に乗るまえに連絡を入れておいたので,フェリーターミナルの宮島桟橋には旅館のマイクロバスが迎えに来ていた。他の宿泊客を数分間待ったのち,ようやくバスは走りだす。

てっきり海沿いを通るものと思っていたから,バスが山へ向かったときには少々おどろいた。それも細い山道路をかなりのスピードで走るのだ。対向車が来たらどうするつもりなんだろ,と心配しているところへ同じようなマイクロバスが前方に見えてくる。それみろ!とおもうがはやいか,あちらのバスは道路の膨らみに幅寄せしてこちらのバスを待ちはじめた。舌を巻くほど手馴れた運転だった。

 旅館は厳島神社の裏手のほうにあった。部屋に案内されてからもなにかしら胸がさわいで一休みする気にはなれない。さっそく外へ出かける。

消防署の前をすすんでいくと,待ち焦がれた大鳥居が見えてくる。干潮の時刻だったので,その根元がざっくりと露わになり,まわりには観光客が集まっていた。やはり大鳥居は海に浮かんでいないと様にならない。

神社に参拝するときは表のほうから正式な順序で入っていくものと,いつか誰かに教わったことがあった。それで表参道の商店街を通って宮島桟橋にいったん戻ることにした。

下船した人たちに交じり,海辺に沿ってふたたび神社へと向かった。鹿がゆったりと寝そべったり,おとずれた親子とたわむれたりしている。

 空は・・・それほど暗くはないが,全体的に薄雲に覆われていた。弱く陽が差すこともあるから,雲の切れ間がないわけではない。しかし本土の山の上には,どんよりとして厚みのある雲がゆっくりと動いている・・・面白くない状況だ。この分だと夕陽は見られないかもしれない。

 気を取りなおして拝観料を払い,日本の誇る世界文化遺産の中へと足を踏み入れた。ナニからナニまで申し分ない・・・素晴らしいの一言に尽きる。けれども私のこころは思ったほどに潤わない。

大願寺前の九本松も見事だった。千畳閣の絵馬や額もなかなかに興味深い。だが所詮,私自身の人生に直接に関わるものではない。

 旅館に帰って寛いだあと,いよいよ夕暮れどきになるまえに,さいど神社の横手にやってくる。

潮が上がり・・・大鳥居は海に浮かんでいた。日の入りまで十分に時間があると思っていたが,はやくも薄暗くなりはじめているようだ。

空を見上げると・・・たいして雲はなかった。それなのに,大鳥居の向こうだけは黒ずんだ雲が重なり合っている。夕陽はダメか・・・と思いつつも,こころの奥底に諦めきれない感情が燻っていた。

 

すると,1850分過ぎである。

本土の山並を覆っていた手前のほうの雲が移動して,もこもことした雲の絶え間から,『あいつ』がひょっこり顔を出したのだ。

えもいわれぬ眺めだった。

・・・雲間はうすい茜色に染まり,斜陽は赤みを帯びて鈍く輝いていた。千里浜で目にする,いつものそれのようで,いつものそれではない・・・目の前の海に,まばゆい黄金色の道を,ひとすじ創りだしている! それは見たこともない情景であった。

さざなみに震えるようにあやしく揺れながら,光あふれる道はくぐり抜けるかとおもいきや,大鳥居の真横をまっすぐに通りぬけ,海面上をのびてきて目と鼻の先で淡くなる・・・まるで飛び越せ! 飛び越えてこちらに渡ってこいと言わんばかりにオレを魅惑するのだ。

 ふしぎな気分に酔っていた。

自然が後押しをしてくれるというより,私は大自然の一部であり,私の決意は宇宙の意思であるかのように感じる・・・だから,この道を迷わず歩んでいい。ひかりの道に飛び乗って,わが道を行けばいいのである。 


 やがて数分後には,夕陽はしずかに奥の方の雲に隠れてしまい,同時に道もかがやきを失って跡形もなく消え去ってしまった。むろん瞼のウラにはいつまでも,大鳥居の横をつきぬける黄金の道があざやかに残っていた。

 

 夕食を終えると,多くの宿泊客と同じように夜の宮島に繰り出した。

しばし俗世を離れて荘厳な世界に浸る・・・ライトアップされた厳島神社と大鳥居の美しさはナニにもたとえようがない。

「ちょっと歩こうよ」

そう裕子がつぶやいて腕を絡ませてくる。

「いいね」と答え,ぶらぶらと商店街に向かって歩きだす。

表参道も夜になると開いている店は少ない。大杓子を見てから海辺のほうへ曲がった。

・・・海側の参道には心地よい夜風が吹いている。

通り路に面する旅館のロビーで宿泊客が集まっていた。何だろう? 目を凝らすと,皆の目線の先には振りをつけて一斉に打ち鳴らす人たち・・・おそらく和太鼓のショーが演じられているのであろう。

「あれ,持ってきたか」

指で吸うまねをしたら,彼女は携帯用の灰皿を取り出して,したり顔で振ってみせた。

御笠浜で一服して,大鳥居をおもう存分にながめる。

「来てよかったな」って話しかけると,

「さすが世界遺産って感じね。ライトアップも最高よ」って裕子は応じた。

 暖かい夕焼け色に染まった大鳥居を見ていても,私はといえば,あの夕陽の余韻のほうに引きつけられていた。

わが人生に賛同するかのように,ほんのつかの間ではあったが煌めいてくれた,厳島の夕陽・・・感謝の気持ちすら湧いてくる。

『夕陽以上のものが,あろうはずがない』

そのように決めこんだのも無理はなかった。自分と無関係であれば,どんなに美しいものであろうと限度を超えてこころに響くことはない。

 となりで夜景を撮影したあと,裕子はずっと画像を確かめている。

「ねぇ,この写真,じょうずに撮れてると思わない?」

昼間に順番を待ち,撮影スポットのひとつ,火焼前で観光客に写してもらったヤツだ。大鳥居をバックにふたりで仲良くおさまっている。

「おまえの笑顔がいいね」

「あら,あなただって若々しく写ってるじゃない」

「そうかな」

 言葉を交わすうちに,近づいてくる奇妙な灯り・・・ナニかとおもえば,船であった。波を大きく立てて大鳥居の前でゆうゆうと停まった。そこから船客がライトアップされた雄姿を眺めているらしい。大波はなかなか引かないうえに船の灯りが観賞を妨げて煩わしい。ここらで帰ることにした。

 道すがら,海に浮かんだ神社に目をそそぐ。さらに潮が満ちて,社殿が海面に映し出されるありさまはこの上なく幻想的だった。が,そうであっても私の内部に迫りくることはなかった。

 旅館のロビーではミニコンサートがおこなわれていた。コーヒーも自由に飲めるというので,演奏者が見えない端のほうに座って喉を潤し,ピアノ演奏を聴いて久しぶりに充実感を味わった。

 

 翌13日,広島は梅雨入りする。

朝から小雨が降ったり止んだりの多少肌寒い天気であった。あいにくの雨模様にも,きのう運よく極上の夕陽を見られた快さが持続していて,さほど気が滅入ることもなかった。

 朝食を食べたあと,雨のせいで予定を立てにくく,テーブルのところでぼんやりしていた。

「きょうはロープウエーにでも乗ってみる?」と,裕子。

「そうしようか・・・」

玄関口で備えつけの傘を借りて,ひとまず表へ出てみる。神社を拝まないことには何事も始まらないだろう・・・単にそれぐらいの心持ちで社殿に向かっていた。

 ところが,とつぜん眼前にあらわれた思いがけない変貌に,息をのんで目もこころも脳髄までをも瞬時のうちに奪われてしまったのだ。ものすごい衝撃と感動が既存の壁を打ち破って一気に内部へと雪崩れ込んでくる。

夕陽より・・・もっと心を打つものがあったとは!

・・・海にすっぽりと浸かりきり,まさに浮かんでいる厳島神社というものが,これほど雄大に圧倒的な存在感をもって迫ってくるとは,自分でも俄かには信じがたい。

 そんなつもりではなかったのに,拝観料を払って社殿にはいり,廻廊から平舞台へと急いだ。

一刻もはやく神社正面から海を眺めてみたい,その衝動をどうしても抑えることができなかった。

平舞台に立ち尽くして海と対峙する。

魂がふるえ,心が昂ぶってどうしようもない・・・これはいったい如何なることなのだろう。

・・・神社の境内が海そのものという,知ってはいたけれど実際に目にしたときの計り知れないインパクト。

・・・瀬戸内海だけにとどまらず,ここから世界中の海洋に繋がり,地球の海をあますところなく治めているような錯覚。

ただの錯覚ではない。

・・・ある意味,これは紛れもない真実なのだ。今わたしは,海という海すべてと心を通じている。でも何故なのだろう?・・・どこの海に立ったとしても同じであるはずではないか。

それは,社殿と境内が,一体となって存在しているからに相違ない。

すなわち境内のない神社は存在しないのだ。海が境内として在るとき,社殿に立つ私は地球上のあらゆる海と向かい合いながら通じ合っている。

こんにちの厳島神社を造り上げたのは平清盛だと言われている。

なんと壮大な夢を抱いたのか! それを実現しようとするのも並大抵のことではないが,そもそも清盛が夢を思い描かなかったとしたら,実現は有りえないことなのだ。

夢こそ,まさしく必要である。

オレには夢なんかない,とおもって生きてきた。しかし,そうではない,きっと。その実現のために生きているならば,たとえオノレのちっぽけなこだわりであろうとも,それは夢といわれるべきである。

 私のこころは神社から世界に開かれている。境内の海を介して,あい対するすべての海に呼びかける。

・・・懸命に生きる刹那しか,オレは要らない。ほかにはナニも要らない。

・・・そして自らの活動の根源を,自らの手で絶つことで,わが人生を終わりにしたい。

・・・それこそが,だれも妨げることのできない,オレの夢なのだ。

空はどんよりしているものの,潮の満ちた宮島の海は大らかで,静かで,あくまでも澄みきっていた。いろんな雑音が聞こえていても,潮の音だけが心のひだに沁みてくる。夢の具現ともいえる厳島神社の舞台・・・ここで,決意を新たにせずにはいられようか。

『タウ・タオ・タイ』

いま,ここに誓おう・・・『わが夢を,かならずや実現してみせる』と。

 海はどこまでもしずやかに波打って,平然としていた。

 ・・・これでいいのだ。

 

「あなた,なんだか思いつめた顔して・・・どうしたの?」

「あぁ,感動してしまってさ,満ち潮の神社・・・こんなに見事だとは思わなかったよ」

「ホント,凄すぎるね」

 

 そのあとロープウエーで獅子岩展望台まで登ったが,靄がひどくて眺望はさっぱりであった。雨も降りはじめて手前の島がかすかに見える程度,早々に引きあげるよりほかなかった。

神社から紅葉谷駅までの往き戻りは,紅葉谷公園内を歩くことになった。

秋の紅葉の時節にはさぞかし綺麗だろう・・・このさき二度と訪れることはないと割り切っていても,いつか紅葉狩りに来たいものだと,つい思ってしまうのだった。

 

 お昼は表参道の店に入って生ビールで乾杯・・・酒の肴に生牡蠣と焼き牡蠣の両方を注文した。

裕子は,生まれて初めて生牡蠣を食べるという。

「おいし~い。今まで食べたことなかったから,知らなかったわ。でも,産地でないと,なかなか食べられないわね」

店を出てから,裕子がおみやげを買いたいというので,もみじ饅頭を試食してまわった。なかなか決められずに迷っていると,もうすこし向こうの店には客の行列ができていて気になってしょうがない。

出来上がりを待っているのだろうか?・・・ふたりとも振り向いて顔を見合わせる。「行ってみようか」って告げたときには,彼女は早くも一歩を踏み出していたのであった。

その店の前まで行くと,揚げもみじの看板と幟が立っていた。店先で揚げたてを食べるようだ。

こりゃ,おみやげには難しいな・・・って考えていると,こんどは「ねぇ,これ食べたい!」と言って,裕子が子供のように腕を引っぱる。

「牡蠣のあとには,ちょっとなぁ」と,しぶる私を尻目に,彼女は強引に頑固者を引き連れて列の最後尾に並んでしまった。

 10分ほどして順番がくる。さきに店内に入り,待っていたら,ほどなく彼女がクリーム揚げもみじを2個買ってきた。

食べてみてビックリ,さくさくとなんとも不思議な食感である。

「これ,意外とうまいな」

「よかった。あなたはイヤそうだったけど,ここで食べなければ,一生涯食べられないとおもって・・・結果よければすべてヨシね」

 いかにも得意そうに,満面の笑みを浮かべる裕子・・・宮島に来ていちばんの笑顔だ。おもわず『おまえの,その笑い顔にまさるものはないよ』と内心つぶやかずにはいられない。

 揚げもみじのおいしさに釣られて,もみじ饅頭もその店で買ってしまった。要するに,試食はナンの役にも立たなかったということだ。

 

やがて午後1時過ぎになり,フェリーに乗船して帰りの途についた。

「ヒロコ,ありがとう」

「なにが?」

「宮島に誘ってくれて・・・すごくよかったよ」

「そう言ってもらえると,わたしも,ものすごくうれしいわ」

 雲間の夕陽と満潮の厳島神社・・・目下の私にとって,これほど有意義なものはなかった。

大鳥居から船が遠ざかる。もう一度来ることはない。デッキに移動して,社殿が小さくなっていく様子を眺めていた。

なにか妙だった。ついさっきまで,あの島にいて,あそこを歩いていたのがウソみたい。遠くから島全体を見渡していても,往くときとは大違い・・・荘厳な神社のすがたが瞼に浮かんできて,畏敬の念をおぼえずにはいられない。船乗りは大昔からこういったふうに厳島を見つめていたのだろう。

桟橋に着いて船を降りたとき,最後の一瞥を投げかけてから,いそいで宮島口駅へ向かった。もう振り返るつもりはない。





 6月,浅谷さんは珍しく循環器外来を一度も再診しなかった。どうしたんだろうと思っていたら,7月になるとすぐに午後外来を受診した。

「先生,こんにちは」と,ふだんどおりのあいさつ。でも,どことなく表情が冴えない。

「こんにちは。6月は受診されなかったから,久しぶりですね」

「すみません・・・今後のことを決めかねていました。決めてから,来ようと思っていたんです・・・」

「じゃ,決心がついたみたいですね」

「いいえ・・・まだ,迷ってばかりです」

伏し目がちに返事をする浅谷さんが,途中から顔をあげて,切羽詰まったかんじで訴えかけてくる。

「きのう,CT検査のあとで,下田先生に抗がん剤を勧められました。受けたほうがいいのでしょうか?」

 さっそくカルテを調べてみる。放射線科専門医による読影所見には,右上葉の原発巣と縦隔リンパ節の増大および心嚢液の増加をみとめるとあった。つまりは癌が進展し,2年前に行なった心膜開窓術は機能しなくなり,そのため心嚢液が再貯留しだしたということだ。これから心嚢液はさらに増えて予後に大きな影響を及ぼすことだろう。

CT画像を比較してみる。あきらかに心嚢液は増えていた。このまま推移すれば薬物治療が著効しないかぎり,近いうちに心膜ドレナージを施行しなければならなくなる・・・それは間違いない。

「浅谷さん,抗がん剤の治療はこのあたりで止めにして,あとは一日一日を,ゆったりと大切に生きてみたらどうでしょう・・・」

 他人の人生には関わりたくない。おのおのが自身で考えて決めればいいことだとおもう。私は医師としてアドバイスするだけである。ただし,浅谷さんは私の助言に左右されるかもしれない。それで,なるべく自分の判断は言わないようにしていた。

 ところがCT画像を見たとき,自分の考えを封じ込めることに無性に逆らいたくなった。それは,浅谷さんが私を信頼していることと無関係ではない。その信頼を感じれば感じるほど自己を偽りがたくなるからだ。

「治療をしないということは,もう諦めるということですか?」

「そう,諦めたらいい。覚悟をきめて,じぶんで人生の終わりに向かって生きていく・・・それでいいじゃないですか」

 家族を差しおいて患者の人生を終焉へとみちびく権利など私にはない。

浅谷さんには夫も子供も孫もいる。以前もらった一筆箋には,家族のきずなという字句が書かれていた。病気になったことで,たぶん夫とのあいだに認めていた溝がいくらかでも埋まったと語っているのだろう。また娘さんに出会って挨拶を交わしたこともあった。そのとき一緒に見舞いに来ていた5歳の外孫を,浅谷さんは目に入れても痛くないほどに可愛がっていた。

その人たちの意向を考慮しないまま,人生の選択に関与することは望ましいとはいえない・・・またしても私は出過ぎた真似をしているのか?

「浅谷さん,あらたに抗がん剤治療を受けて,いったいどれだけ命は延びるだろうか? すばらしく効果があって,奇跡的に長く生きている人もいるけど,平均的には数ヶ月くらいだとおもう。たしかに,それは大きな違いかもしれない。でも,数ヵ月後にはいやでも同じような状況がやってきて,かならず死を受けいれなきゃいけないトキが現実として迫ってくるんだ・・・」

「ですが,先生・・・やっぱりわたしは,もっと命が欲しいんです」

「そりゃあ,死にたい人なんていないでしょ。誰だってガンを克服して生きていきたい。でもね,実際に生きられない人は少なくないんです」

「・・・」

ひとたび自分の内心をぶちまけると,なんとか相手に伝えたくて・・・このままではうまく伝わらない気がして歯止めがかからない。

「ぼくが言いたいのは,しかたなく死を受けいれるのではなくて,前向きに受けとめることができたら,それなりに違ったかたちで最期を迎えられそうな気がするということ・・・」

「そうかもしれませんけど・・・わたしは,まだ死にたくありません」

 ・・・そうだった。これは患者自身の問題であった。そもそも私の意見なんぞ参考にならなくて当たり前だ。ついオノレの孤独を忘れていた。

「ずいぶんと知ったふうな口をきいてしまった・・・ガン治療を受けたこともないくせに。 浅谷さん,なにも聞かなかったことにしてください」

 沈黙の時間がながれた。真剣に語り過ぎたと後悔の念が生じる。すると,浅谷さんのほうから切り出してきた。

「いま,話をしていて,わかったような気がします」

さっきまでの沈んだ声ではなかった。「わたしは命をすこしでも長く欲しいと思っています。それは変わりません,事実ですから。ですが,もっと欲しいものがあるということに,ようやく気がつきました」

「もっと欲しいもの?・・・命よりも欲しいものですか?」

「そうです。先生のおっしゃるように,抗がん剤は止めようと思います。やっと決められました」

「・・・」

「そのかわりというとヘンですが,せんせいに・・・お願いがあります」

「ぼくに?」

「ハイ」

視線は私に向けられていたが,目は遠くを見つめていた。まだ戸惑いがあるのだろうか? あるいは無理にも割り切ろうとしているのだろうか? 浅谷さんはゆっくりと心の内奥をなぞるように告げたのである。

「ぜひとも先生に,わたしの最期を,看取っていただきたいのです」

 なっ・・・なんだって?

こんな結末があろうとは,どう頑張ってみても私には考えられないことだった。主治医であれば最期を看取るのは尤もなことだが,肺がんの担当は呼吸器内科または腫瘍内科のドクターであるべきだ。

「死ぬときは,どうしても先生でなければ,イヤなのです。どうか・・・わたしの願いを聞き入れてください」

 切なる要望に,かつて大学病院で診療した肝細胞がんの男性・・・金井さんをありありと思い出した。信頼されていた・・・にもかかわらず,主治医を降りざるをえないという医局制度のしわ寄せ。正当な理由があったにせよ,あのときの金井さんは決して納得してはいなかった。死を避けられぬ人の望みは,できうるかぎり叶えたい。

『最期まで浅谷さんの主治医を務めること・・・それは,オレに課せられた使命なのかもしれない』

主治医の件は,それほど大した負担でもない。引っかかるのは,浅谷さんを看取るまでは死ねないということだ。

そうはいっても,ここまできて引き受けないわけにはいかないだろう。

『タウ・タオ・タイ』

このようなとき・・・大いなる道をおもう。

良いと判断するところに進んだからといって,思惑どおりになるとは限らない。どのように転んだとしても先のことは分からない。それならば,大いなる流れに身を任せればいいではないか。その道のながれにしたがい,可能な領域のなかで力のかぎりを尽くせばいいのである。

「じゃあ,浅谷さんと共に歩いてみますか・・・」

 遠い目はいつしか私を捉えている。

「ありがとうございます」

 こころなしか涙ぐんでいるようにも見えた。その瞳には安堵の色が滲んでいる。もろくて壊れやすいものを護ったような気分になった。

「いちおう確認ですが,抗がん剤による治療は受けないということで・・・いいですか?」

「はい。これからは本気で,死と向き合ってみたいと思います」と,かすかな笑みさえ浮かべて「自分のこともわかっていなかったのですから,愚かですよね。でも抗がん剤の治療が効かなくなったら,人生のさいごは,どうあっても先生に診てもらって迎えたいのです」

「ご主人や娘さんも,ほんとうに,それでいいんでしょうか?」

「大丈夫です。本人が希望していることですから」

「わかりました」と返事をしたが,そんな簡単に何もかもが受諾されるものでもなかろう。反発したくなって知らずに一言がこぼれた。

「浅谷さんは,かなり変わっていますね」

「そうですか?・・・先生ほどではないとおもいます。それでは,これからもよろしくお願いします」

浅谷さんはあいさつをして診察室を出ていく・・・一本とられた。出る間際に振り向いて,念を押すことも忘れない。

「いまから下田先生の外来へ行きまして,治療は受けませんとはっきり断ってまいります。ですから先ほどのこと,くれぐれもよろしくお願いいたします」



 マンションへ帰ってから浅谷さんと交わした約束について考える。

もうちょっと先のことではあろうが,注意を怠らなければ役目を果たすことに支障はないはず・・・それにしても,と思いを馳せずにはいられない。

・・・あの金井さんは,どのような思いで,最期を迎えたのであろうか?

最近はいろんなことを忘却しつつあるが,金井さんとのことは脳髄に深く刻まれていて失念しようがない。というのも・・・私の犯したルール違反が関係しているからである。

今でこそ専門外の癌診療に携わることはない。しかし,あのころ大学病院では部屋毎に主治医が決まっていて,ガン患者を受け持つことがあった。

 

金井さんは当時,満55歳。

冬真っ盛りの時期に,肝細胞がんの精査と加療の目的で地元の総合病院から金沢大学付属病院へ紹介され,私の担当する病室に入院してきたのであった。

雪の降る寒い日だった。

午前中は初診外来で診察医の助手を担当し,午後は心カテ検査に入って予定の終了時間を大幅にオーバー,日勤の時間帯に入院した患者を診ることはできなかった。金井さんを診察しようと病棟へ上がった時には夕食の時刻をとっくに過ぎていた。

あわてて紹介状を読んでみると,思ったとおり,金井さんは告知を受けていない。現代では,癌であっても本人に告知するのが通常であるが,私が医師になった頃はそうではなかった。

疑念を抱いてはいないのだろうか? そう思いながら,金井さん夫妻をナースセンターの隣にあった問診室に呼び入れる。

なにしろ金井さんは無愛想で,話し方もぶっきら棒であった。そのぶん,よけいに奥さんが気をつかって合いの手を入れる。奥さんは,丸髷の髪型に着物がよく似あい,料亭の女将みたいな感じ・・・いかにも控えめで,尽くし上手のしっかり者に見えたけれど,その古めかしさが却って目立っていた。

 金井さんの第一印象はお世辞にもいいとは言えなかったが,毎日接してみると,人懐っこく,人情豊かで,いわゆる親分肌タイプの人だった。大酒家であったのは言わずもがな,もはや数少なくなった船舶の修理会社を経営し,元気になって帰らなければ大変なことになる,と私には零していた。

入院当初の見込みでは手術可能と考えられていて,そのための精査紹介であった。ところが検査を順番に進めていくうちに,基礎疾患の肝硬変は予想に反して相当に進行し,肝細胞がんは単発ではなく娘結節がみとめられ,そのうえ門脈浸潤による腫瘍塞栓の合併も判明したのだった。つまるところ根治手術はきわめて困難な病態と診断された。

 すべての検査が終了した段階で,奥さんと長兄に,そのころ医療関係者がムンテラと呼んでいた病状説明をおこなった。その場には肝疾患専門の先輩ドクターも同席していた。結論として手術は不可能,しかも完治の期待できる有効な治療手段がないことを説明し,告知にかんして二人に意向を訊ねようとしたところ,その前に長兄がこう言ったのだ。

「本人には,ガンだと言わないでほしい。見た目とちがって,あいつは繊細なヤツでね・・・それと,子供たちにも内緒のほうがいい。敏感な年頃で,さぞかし大きなショックを受けるだろう。それでは父親のあいつが気づくかもしれないからね」

 金井さんには22歳になる娘と19歳になる息子がいた。病室で一度だけ,見舞いにおとずれた娘さんと出会ったことがある・・・眉がくっきりとした面長の美人だ。口早に「父がいつもお世話になっています」と,いきなり挨拶されたときには一瞬どぎまぎしてしまった。もともと私は口ベタで,咄嗟の場合には言葉を返せないことも多い。娘さんは見るからに要領よくテキパキと応対できるタイプだった。

 次の週,肝胆膵グループのカンファレンスがあって,今後の治療について検討が加えられた。外科的切除以外の治療として肝動脈塞栓術がすでに一般的に行なわれていたが,金井さんは門脈浸潤が認められたため適応外とされた。残された方策は一つのみ・・・たいして効果は見込めないとはいえ,ほかに選択肢がないという事情で,抗がん剤の動脈内注入療法を試みることが決まった。

終わりにムンテラのとき同席していた先輩から,告知にかんする妻と兄の意向が伝えられた。そのあとで,患者には告知しないことおよび子供には癌の病名を伏せておくことが,医局方針として申し合わされた。

 こうして金井さんの肝細胞がんに対する治療方針が決定したのは,3月初旬のことだった。入院して1か月以上の期間が診断のために費やされていた。おまけに悪いことが重なってしまう・・・4月から,私は関連病院に出張することになったのだ。本人に説明するさいには,主治医交代のことも告げなければならない。

当日は奥さんにも来てもらった。金井さんに,血液検査データからの推測よりも肝硬変は進行していること,肝臓に癌ではないものの癌に進展しそうな部分があること,現時点で可能なことは肝動脈にカテーテルを留置して薬物を注入する治療であることを説明した。

「とにかく,その治療をしたほうがいいと言うんだね」

「そういうことです」

「先生がそういうなら受けてみるよ」

金井さんがどこまで理解したのか分からないが,私を信用していると言わんばかりの口調だった。

「じゃ,来週にでも外科で,リザーバーを埋め込んでもらいますね」

「それは手術なんかね?」

「局所麻酔だけで行なう,小手術になります」

 大まかなやり方とありうる合併症について言及したが,金井さんは真剣には聞いていない。職人気質の金井さんにとって,受けるからにはどんなリスクも覚悟するのが至極当然のことであったのだろう。リスクが問題なのではない。信頼できるかどうか,ということ。

「それと,ちょっと言いにくいことなんですが・・・4月から,ちがう病院で働くことになったので,金井さんを診るのは3月一杯で終わりです」

「ナンだって!」

「申しわけないけど,4月から別のドクターが金井さんの主治医に・・・」

眉を吊りあげ,こめかみに青筋を浮かべて金井さんは私の言葉を遮った。

「そりゃないぜ! それじゃ,おれを見放すってことか!」

「そうじゃないよ,退院するまで金井さんを診てあげたいけど,こればっかりはダメなんだ」

「先生がいなくなるなら,治療のハナシは,こちらから願い下げだ」

 いやな予感が的中してしまった。このワカラズ屋を,どのようにして説得すればいいのか?

「金井さんも,大人げないよ,世の中には,どうにもならないことだってあるだろ」

「おれは,あんただから信用してるんだ」

「弱ったな・・・」

 あなた,先生にご迷惑をおかけしてはいけませんよ,と奥さんが割って入っても,おまえは口出しするなと言って耳を貸そうともしない。

「金井さん,4月からは週に一度,大学病院に帰ってこないといけないんだ。帰ってきたときには,時間をみつけて顔を見にくるから・・・だから,おれのためにも治療を受けてくれないかな・・・」

 金井さんはそっぽを向いて黙っている。が,しばらくして私のほうへ向きなおった。

「本当に来てくれるか,せんせい」

「かならず来るから・・・」

「じゃ,治療を受けるよ。そのかわり,ぜったい部屋に顔を出してくれよ」

「わかった。約束するよ」

 まるで友だち同士のようになってムンテラは終わった。

 

 3月中旬,カテーテルを左鎖骨下動脈から肝動脈に留置し,リザーバーが左前胸部に埋め込まれ,小手術は無事に成功した。そこで第4週に予定どおり,抗がん剤の肝動脈内注入療法を実施する運びとなった。

主治医として私が一回目の動注を行なうことになり,そのことを金井さんは殊のほか喜んだ。

「金井さん,消毒するから,すこし冷たいよ」

 皮膚をイソジン消毒したあと,ポート部分に専用針を刺入する。じつは,リザーバーへの針刺しは初めてだった。容易な処置であっても,最初のときはいくらか緊張するもの。

「いくよ!」

やってみると,針刺しは至って簡単であった。ポート中央部を思いっきり刺すだけでいい。頭で分かっていても経験は別物・・・先端がコツンと当たる感覚は体験しないと分からない。

「ぜんぜん痛くなかったよ」と金井さん。

 ラクな気分になり,手順にしたがって注入のセッティングを終了する。

「薬を入れるから・・・」

シリンジポンプの電源をオンにすると,無色透明の液体の入ったシリンジが微妙な速度で動きはじめた・・・しだいに胸が疼いてくる。

なにゆえ,こんなにも真実から遠い世界にいるのだろう・・・?



 4月,関連病院に転勤した。それからは毎週木曜日に,帰学日と称して大学病院にやってきては研究のための検査をおこない,終わってから金井さんの病室を訪ねるようになった。

「今度の主治医は全然あかん。点滴も一度で入らないし,調子もだんだん悪くなる一方だよ」

 くわしく訊いてみると,点滴とは例のリザーバーを介しての抗がん剤動注のことだった。次の主治医も針刺しをやったことがなかったのだろう。どだいリザーバーは何度でも刺せるようにできているから,一度で入らなくても一向に構わない。けれど金井さんは頑固一徹で,相性が合わないと難しい人だ。

それに調子が良くないのは,癌の進行と薬物が原因であってドクターのせいではない。しかし,本人は自分が癌だとは知らないので,ろくに治せない主治医がわるい格好になる。不都合なことには,私が顔を出すことで主治医はよりいっそう悪者になってしまうのだった。なるべく病室に行かないほうがよいと思うのだが,金井さんとの約束を破るわけにもいかない。

 

そんなふうに主治医がたいへん苦労している状況を知っていたにもかかわらず,私が医局の申し合わせ事項を勝手に破ってしまったのは,まったくもって弁解の余地がない。

4月半ば過ぎ,帰学日に金井さんの病室へ行くと,たまたま娘さんが父親を励まそうと訪れていた。その日,帰ろうとする時刻がいっしょになったので,運転のできない娘さんを家まで送りとどける役目を買ってでた。

車の中では,娘さんが金井家の日頃のことを語りだす。言葉を交わすうちにこれから先のことにも触れなければならない。そのたびに私の魂は揺さぶられてしまうのだった。

「先生,父は・・・いつごろ退院できますか?」

「治療を開始して,そんなに経ってないから,まだ分からないな」

「酒が飲めないことはいいことだし,二度と悪くならないように治ってもらいたいから,いまは我慢するしかないですよね」

「・・・」

「でも,はやく帰ってきて欲しいな。弟も働きだしてから父の偉さがわかったみたいで,口にはしないけど内心すごく心配しているんです」

承服できない感情が膨らんで押し殺せそうにない。

娘さんは,金井さんが元気になるものと思っている。大学病院であれば,確実に治るものと信じて疑わない。ところが現実はちがうのだ・・・いや違うだけでは終わらない。あとになって事実を知らされたとしたら,どれほど悔しい思いをすることになるのか!

変てこな道理にしたがうのは,真っ平ごめんだ。

「驚かないで聞いてほしい・・・お母さんたちと相談して,君や弟には,言わないことに決まったんだ。でも,どう考えてもおかしいとおもうから,ここで話しておきたい」

助手席に目を向けると,いくぶん娘さんの顔がこわばっていた・・・たとえ見るに忍びないほど悲しませることになろうとも,先を見据えて告げなければならない。

「お父さんは肝臓がんに侵されている。肝硬変も肝臓がんも,かなり進行しているから,このさき長くは生きられない。だから,お父さんの体力が衰えないうちに,親孝行してほしい」

「・・・」

思いもよらない話の中味に,娘さんの顔から血の気が引いていく。

「信じられないかもしれないけど,本当のことなんだ」

「どうして?・・・」

全身を打ちふるわせ,娘さんは言葉を詰まらせた。目には涙が溢れている。それでも,どうにか声を絞り出す・・・「あと,どれくらい生きられるの?」

「よくて数か月だとおもう」

「なぜ・・・言ってくれないの?」

「伯父さんの決定だ」

「わからない・・・」

「二人を悲しませたくないそうだ」

「・・・」

「だけど,子供にだって,知る権利がある。おれだったら,あとで教えられても許せないだけだ」

「・・・」

「悲しいだろうけど,残された時間は長くない。弟といっしょに,お父さんにできるだけのことをしてあげてほしい」

 一気に喋ってしまうと,違反の意識が芽生えはじめる。

「それと・・・いま,おれが話したことは内緒にしてくれないか。そうでないと,非常にまずいことになるから・・・」

「せんせい・・・ありがとう」

かぼそい声でもしっかり返事をしてくれたので,私は安心し,役目を果たしたような気分で娘さんと別れた。

 

しかしながら,翌週に大学へ帰学してみると,すでに金井さんの長兄から医局に苦情が持ち込まれていたのである。

最初におやっと思ったのは,病棟へ上がってナース同士のひそひそ話を耳にしたときだった。 ナースセンターに金井さんが跳びこんできて,自分の病気はガンなのか!って恐ろしい剣幕で主治医に迫ったという・・・ドクターはタジタジになり,それを否定するのに必死だったとか。

詳細が気になると同時に,ひょっとしたら・・・と不安に駆られて医局に向かった。同僚のドクターから詳しい経緯を聞いて愕然とする。金井さんが家族の態度に不審を抱いたらしいのと,子供たちが病名を知っていて病院のだれかが教えたのではないかという長兄からの電話の一件を知ることになった。

『秘密にしておくのは無理だったということか・・・』

 おもわぬ展開になって,どうすればいいのか分からなかった。なんとかしたくても,どうすることもできない。そのうえ危惧していたことが現実に起ころうとしていた。

いったい誰が漏らしたのか?・・・責任問題も絡んで,取り決めを破った犯人の割り出しに医局が水面下で動きはじめていたのだ。

主治医は無実を訴え,家族の誤解であると公言して憚らなかった。だが,深まる謎は当人に不利だった。前主治医の私は,週に一回大学病院に来ていたというのに,意外にも疑われなかった。疑いをかけられたのは,あくまで大学病院に常勤するドクターとナースのスタッフたちに限られていたのである。

主治医に対しては,今回のことも含めて幾つかの点で,ずいぶん心苦しく思った。けれども,我が身のことを考えると自首する気には到底なれなかった。大学病院には私と娘さんの接点に気づく者はいなかったが,奥さんは即座に犯人を直感したにちがいない。

その日の午後,金井さんの長兄から大学病院に電話があった。相手に指名されたのは,だれあろう帰学している私だったのだ。

「先生でしょう,姪っ子に,弟の病気のことを話したのは!」

「そのとおりです。なんとも申しわけありません」

「謝られてもしょうがない,元には戻れないんですよ。先生がこちらの意向を無視したって,ぜんぶ病院に報告します。そして,きっちり責任を取ってもらいますからね」

「軽率だったとおもいます。まことに申しわけありませんでした。あの・・・できることなら,許してもらえないでしょうか・・・」

「ダメですよ! 約束を破ったんだから,罰を受けて当たり前でしょう」

 返す言葉もなかった。何をジタバタしているのだろう。これはオノレの行動が招いた結果ではないか・・・腹をくくるよりほかなかった。

「わかりました。どうもすみませんでした」

 うちの教授は厳しいことで有名だった。過去にも総回診のミスで,先輩ドクターが退職に追いこまれた実例をこの目で見ている。最悪の場合,医局を辞めなければならないだろう。

もとより自分のやったことを否認するつもりはない。言いわけは尚のことしたくない。不本意であっても,辞める以外にスベはないと観念した。かといって,いさぎよく医局に申し出るまでもあるまい。長兄の言いようでは,近々医局から裁きが下るのは必至である。

そのように考えて,自ら名乗り出ることはしなかった。しかし私はどこまでも卑怯であった。観念したといいながら,そうならないことを心の片隅で期待していた。それゆえ,事の成り行きをただ静観していたのだった。

 

審判は,なかなか下らなかった。

そのうちに金井さんは抗がん剤の副作用で食欲不振となり,個室に移動となった。動注化学療法はむろん中止,金井さんも衰弱して元気がない。

 5月おわりの帰学日のこと。

「来週は,どんなことがあっても顔をみせると,約束してくれないか」

と,金井さんはベッドに横たわったまま真顔でつぶやいた。一度だけ消灯時刻を過ぎてしまい,訪ねるのを断念した前科が私にはあった。

「いいけども,なんで?」

「そりゃあ,来てくれたらわかるよ」

 6月はじめの木曜日,19時頃になって,あわてて病室に滑りこんだ。待ちかねただろうに,金井さんは笑顔で迎えてくれる。

「来てくれたか,せんせい。すぐに,うちのやつに作らせるから,ちょっと待ってくれないか・・・」

 奥さんが窓ぎわへ行き,発泡スチロールの入れ物から取り出したもの・・・それはなんと,まだ生きているアワビだった。

まさか,これを持っていけ,っていうんじゃないだろ? 金井さんの言葉の意味を計りかねていると,奥さんが持参の包丁で捌きはじめ,あっという間に造りが出来あがる。

「獲れたてのやつを,わざわざ持ってきたんだよ。ひとつ食べてみてくれ」

「これは,スゴい・・・」

「ついでに酒でも飲んでいくかい?」

「それはできないよ」

 正直いって困ってしまう・・・うれしくてたまらないのだが,そのころ帰学日ごとに歯の治療を受けていて,あいにくにも左上の小臼歯を抜いた直後だったのだ。くわえて,どうも腹の調子が良くない。とはいえ,そのようなことを言える状況ではなかった。

食べているうちに,お腹がグルグル鳴りだし,時々さしこんだ。アワビのコリコリ感は,その日にかぎっては,苦痛そのものだった。前歯で噛むしかないので時間もかかる・・・砕いたら飲み込むばかりで,やっとの思いで『おもてなし』を食べ切った。

「ごちそうさま,さすがに高級食材はちがうね・・・」

「きょうだけ特別だよ。持ってきてからが大変だし,だいたい先生がいつ来てくれるか,さっぱし分からんからヒヤヒヤしたよ」

「わるいんだけど・・・」我慢の限界に達していた。「こんやは用事があって,いまから出かけないといけないから・・・」

 挨拶もそこそこにして病室を出たとたん,トイレへ駈けこんだ。用を足してすっきりしたのはいいけれど,金井さんのせっかくの好意も流してしまったようで,いつまでたっても恨めしく思われてならなかった。

 

 6月中旬,金井さんは地元の総合病院に転院した。しだいに忙しさにかまけて,金井さんを思い浮かべることもなくなっていった。

 

 9月になり,大学病院へ帰学している時間帯に,娘さんから呼び出しで電話があった。

『とうとう,その時がきてしまったのか・・・』 おもわず,天を仰ぐ。

受話器の向こうで,娘さんが泪ながらに語った。

転院してから病状は悪化の一途をたどり,8月22日,金井さんは失意のうちに56年の生涯を閉じたという。さいごに「お願いがあります。できたら,こんどの日曜か祝日あたりに,家へ来ていただけないでしょうか」

 


 第二日曜日,金井さんの自宅を訪問した。

位牌と骨壺の前で焼香する。ふだんの無愛想からは想像しがたい,遺影とも相違する,あの笑ったときの憎めない表情を想いつつ涙した。

「待つのが大嫌いだった主人が,一週間に一度,先生に会えるのを心待ちにしていました。あんなに辛抱づよくだれかを待つなんて・・・そんなあの人を,わたしは初めて見ました。よほど先生のことが気に入っていたのだとおもいます。致しかたないことですが・・・先生に,できたら最期まで診ていただきたかった。そうなっていたら,どんな結末を迎えたとしても,主人は満足したとおもうのです」

 奥さんの口からこぼれた言葉が胸に突き刺さった。

もしも私が,金井さんを臨終のトキまで診ていたとしたら・・・はたしてどのように向き合っていたのだろうか? 何よりも本人を前にしてウソを貫き通せただろうか? いまは亡き金井さんの面影に浅谷さんが重なりあう。

ついでに触れておくと,結局のところ医局からは何の処分もなかった。しだいに謎の犯人の話題も立ち消えになっていった。

おそらく娘さんが責任を感じて長兄を抑え込んだのではなかろうか。

 

 


 7月,浅谷さんはもう一度外来を受診した。とくに変わりはなく,むしろ表情は明るくて,とても癌に侵されているふうには見えなかった。

ところが8月3日の火曜日,労作時の呼吸困難を訴えて,浅谷さんは午後外来を再診した。胸部X線ではあきらかに心嚢液の増加が疑われる。先月から心嚢液貯留は分かっていたものの,量が少ないうちは安全に穿刺ができない事情があった。

ただちに心エコーを施行する。穿刺できない量ではない。もっと大量に貯留すれば穿刺は楽であろうが,心タンポナーデによる急変だけは何としても避けたい・・・であれば,早めに対処するに越したことはない。

「浅谷さん,心臓のまわりに水が溜まっているから,きょう,このまま入院したほうがいいでしょう」

わたしは心膜穿刺およびドレナージの実施を決めた。「病棟で,管を使って水を抜く治療をしますよ」

「はい,先生にお任せします」

 

 循環器病棟は5階にあった。

浅谷さんが個室に入室してまもなく夫と娘さんが到着する。目下の病状と心膜ドレナージについて説明,ふたりに異存はなかった。心エコーで再確認し,穿刺とドレナージの処置をとくにトラブルもなく終了した。

シリンジで吸引した心嚢液は170mlで,黄褐色,混濁なし。その一部を検体として各種検査にまわす。あとはドレーンからの自然排液にまかせた。ドレナージによって本人の呼吸はずいぶんと楽そうになった。

後日,心嚢液から腺がん細胞が検出されたと病理診断科より報告をうける。

10日にドレーンを抜去し,14日のお盆直前の土曜日,浅谷さんは元気に退院した。そのとき渡された封筒には小さな便箋が入っていた。

 

先生,このたびも助けていただき,ありがとうございます。

   これから先,入退院を繰り返しながらでも,命がほしいです。

   また我がままを申しますが,わたしの最期を看取って下さい。

    どうぞよろしくお願いいたします。

浅谷富子

   青海先生へ

 


 

 

 8月25日の水曜日から3日間,急遽,夏季休暇をもらって裕子と共に東京へ行くことにした。看取りの約束が気になり,遠出をするなら早目がいいと思ったのだ。ただし彼女の勤務の都合もあるし,整理しなければならないことが山ほどあって,一泊二日の短い旅行とならざるをえない。

 これが見納めになるだろう。30代までは東京の喧騒が好きだった。近ごろは想い出を手繰って歩くだけ・・・今回も,手繰るために行こうとしている。

 小松空港から羽田空港へ・・・大変わりした空港からリムジンバスで台場のホテルに着いたのは,14時前。レインボーブリッジの見える部屋を予約しておいたので,裕子はえらく満悦顔である。

「頼みたいことがあるんだけど・・・」自分の神経を疑ったりもするが,大いなる流れであるのなら,逆らったりするつもりはない。「行ってみたいところがあるから,付き合ってくれないか」

「いいわよ」と,彼女からこころよい返事をもらった。さあ,追憶をたどって猛暑の街を歩きまわるとしよう。

 

ゆりかもめと地下鉄を乗り継ぎ,むかし慣れ親しんだ赤坂見附へと行く。

円通寺坂を登って稲荷坂を下った。予想どおり,前に住んでいた古住居は取り壊され,侘しいばかりの跡地をながめる・・・建物はなく,駐車場と駐輪場に変わっていた。

赤坂通りに出て,頭に焼きついているあの小路に入った。幾度となく見まわすが,ラブホテルの影も形もない・・・ここだと確信した場所は,時間貸しの平面パーキングに様変わりしていた。

 もどって乃木坂に向かう。外苑東通りに面するS病院の入口周辺には,相変わらず高級車が乗り付けられていた。車のあいだを縫って正面玄関のまえに立つ。20年前のさまざまな断片が脳裏を去来してやまない。

自動ドアが開いた。病院から人が出てくる。ドアが閉まり,また開いて人が出てくる。ドアの開閉がオレをいざなう。一歩だけ踏み締める。ドアが開き,それで決心がついた。そのまま前へすすむと・・・外来の待合があたかも私を迎え入れてくれるようだった。

受付へ行って,身分と元職員であることを自ら明かし,懐かしくて院内を見学させてほしい旨を一応は断わっておいた。

 待合の横を通りすぎ,エレベーターで2階へ上がる。扉が開けば・・・レジデントたちが所属した研究室の前だ。部屋の中から話し声が聞こえて記憶が鮮やかによみがえる。となりには・・・図書室があったはず。

 廊下を左へと向かう。右手にすぐさま図書室の出入り口が見えた。覗いてみると・・・誰もいないようだ。ここまできたら,どうして中に入らずにいられようか! ワクワクして一歩,二歩,三歩,中へとすすんだ。本棚の数が増えて配置も変わっている。そうだ,真子の坐っていた机は?・・・丹念に繰りかえし見まわしても,どこにもなかった。病歴室自体がなくなった? というより移動したのであろう。奥までいって右隅のほうをじっと見つめる。しだいに目に浮かんできた・・・

・・・そこには大きな机があって,彼女は椅子に腰かけ,書類の整理をしている。ふと私に気づいて微笑みかける・・・真子。

「ねえ,ここにいて,だいじょうぶ?」

不意に裕子のおさえた声で現実に呼び戻された。

「だれか来たら,説明するさ」

 そう答えたものの,見知らぬ職員が入ってきそうで,余韻に浸っているわけにもいかない。

廊下にもどり,会議室をめざす・・・カンファレンスが行なわれていた場所だ。その前に立ってみたが,さすがにドアを開ける気がしない。Uターンして廊下をひと回りする・・・秘書室もなくなったのか? 分からなくて何ともいえない淋しさを味わった。

再度エレベーターに乗って5階のボタンを押したら,どうしてか胸騒ぎを覚えてならない。止まって視界がひらけると・・・思い出した,ナースセンターが目の前にあったのだ。とたんに緊張も解けていく。

カウンターからは見えにくいが,向かって左側窓ぎわの奥まったところに小さな休憩室があって,そこでよく談笑したものだった。

「なにか御用でしょうか?」

 不審に思ったナースがセンターから出てきて詰問した。

「むかし,ここで働いていたものです。ちょっと,病棟を回らせてもらえませんか」

返事を待たずに廊下を歩きはじめる。

『かまうもんか! べつに悪いことをしているわけじゃない。恋しくて回っているだけさ』

 と,独りうそぶいた。そういえば当直のとき,消灯前に準夜ナースと病室を回っていたっけ・・・きょうは,裕子がついている。

 病棟をぐるりと巡ってみる。

芸能人や著名人,その関係者などが入院して,時には人間模様の見え隠れした個室。 廣行と最後の言葉を交わした,あの忘れられない大部屋。 映画会社日活の入居するビルが目と鼻の先に見えた,くつろぐには狭すぎるロビー。 高額にもかかわらず長期入院の多かった,裕福な人しか入らない,というか入れない特別室。 主として急性心筋梗塞のクランケが入院した,近年では見かけることのない当時の集中治療室。

どこをみても心を掴まれて仕方がないが,そうゆっくりもしていられない。ナースセンターの手前で切りをつけて階段を下りていく。

途中,当直室のあった4階をのぞき,2階では研究室と図書室に向かって別れの挨拶をしておいた。

『あのころ,いろいろと世話になったな。もう来ることはないだろうから,いつまでも頑張れよ・・・じゃあな』

 受付に寄って,お礼の言葉を述べて締めくくった。

 

後日わかったことであるが,S病院は来年に西麻布へ移転するそうなのだ。約30年前に建てられた現在の病院は,求められるハイレベルな医療の役割を十分に果たしえなくなって,機能的に寿命がきたということだろう。そうであるならば,お互い現役として再会できたことは,私にとって単なる偶然とおもえないラッキーな出来事であった。

 

 往時をしのんで東京ミッドタウンの周辺を探索し,六本木通りにきて立ち尽くす。その寂れたビルの中は遮光ガラスで見えにくく,外階段には出入りを禁ずる小さな門扉・・・どう見てもナイトクラブがあったとは思えない。

それから半ば当然のように足が向いて檜町公園へ下りていく。高みから一見すると,以前とは似ても似つかない風景であった。池のすぐ前では,若くてスタイルのいい女の子が日傘をさしてポーズをとっていた。プロのカメラマンが撮影しているようだ。ついつい目がいってしまう・・・出逢ったころ,真子もあんなふうだった。

「気になるみたいね・・・ピチピチ肌のカワイイ子」と,裕子が見兼ねたように言葉をかけてくる。

「そんなことないさ・・・」

「ウソばっかり」

「・・・」 ズバリ見抜かれている。

 池のそばの休憩所で一服した。さりげなくチラ見するが,モデルは草木の向こうに隠れて見えない。

移転した防衛庁の跡地開発にともない,檜町公園も再整備されて景観が大きく変わってしまった。かつての面影は微塵もない。運動場のような広場と,周りに備え付けられた遊具・・・都会の一角に,ふつうの古くさい公園があったのだ。たいていは赤坂への近道として通り過ぎていたから,池のある木立の中を遊歩することは殆んどなかった。そうであっても,ここは数え切れないほどに通ったところ,酔って帰りがけに一休みしたところ,真子と夜中にブランコに乗ったところなのだ。どんなに美しく洗練されたものに改善されようとも,親しんだものが消えていく淋しさは拭えない。そのことは,わたしが年輪を重ねた証拠でもある。

檜町公園から赤坂通りに戻って,赤坂サカスの方面は混雑しているだろうから,五丁目交番から三分坂を登っていく。この傾斜もカーブもきつい坂が,元のまま残っているのが嬉しくてたまらなかった。そのあとコロンビア通りを歩いて赤坂見附にもどったときには・・・はや夕暮れ。

「夕食はどこで食べるの?」と裕子が訊いた。

「きょうは,ホテルでディナーを予約してあるんだ」

「えっ,何時に?」

「午後7時」

「なんで言ってくれないの!」

「ゴメン,サプライズにとっておいたんだ。いまから向かえば,ちょうどの時間じゃないかな?」

「ちょうど過ぎ。もっと,のんびりにして欲しいわ」

あわてて来たときの逆コースで台場まで戻らなければならなかった。

電車の中では,行けなかった過ぎし日の TBS 付近を思い浮かべる・・・どうしたって新しく生まれ変わっているに違いない。夏イベントも行なわれているようで,おそらくは追想するどころではなかっただろう。






 ホテルに着いたのは予約の10分前だった。部屋に寄って3階のレストランに入ったのは3分前・・・「ほら,ピッタリだろ」って言うと「余裕なし,ってことでしょ」と手厳しい。

 案内されたのはテラス席と称する小さなベランダだった。この店にはテラスはないと思っていたので,この目で実際に確かめるまではネットで選んだプランに今ひとつ自信がもてなかった。ようやく合点がいき,正解であったとおもえる。

ベランダは狭苦しいが,二人だけの空間は何にも代えがたく,眺望も申し分ない。レインボーブリッジを一望でき,東京タワーはブリッジを突き刺すように聳えていた。

「あなた,すばらしいわ!」

「おまえのために知恵を絞ったよ」

「どういう意味?」

「どのプランを予約するか,いろいろ検討したってことさ」

「ありがとう」

「もっと早く来ていたら,夕焼けが見られたかも・・・」

「ぜいたく言わないわ。この景色を眺めながら,食事ができるだけで十分よ」

 白ワインで乾杯,ゆっくりイタリアンのフルコースを味わう。料理は格別おいしそうにはみえないが,今宵は特別な日となるように・・・とガラにもなく願いを込めつつ,大きめの封筒から小さな手提げ袋を取り出してテーブルの上に置いた。

「今月じゃないけど・・・来月の誕生日プレゼントを,さきに渡しておくよ」

「えっ,ホントに! さっきからおもってたの,その封筒はなんだろうって。今,ここで開けていい?」

「あぁ,いいよ」

 手提げ袋に入っていたケースを裕子は丁寧にひらいた。

「これ,ピンクサファイア?」 さっそくプチネックレスを身につける。「うれしい!・・・よく買いに行けたね」

「そうじゃなくて,ネットだよ。だから現物を確認するまでは,すごく不安だったけどね」

「似合う?」

「バッチリ!」

「アリガト」と微笑んで「なんど言っても足りないくらいね」

「きょうは,無理やり歩かせてしまったからなぁ・・・ここで,プレゼントできてよかったよ」

「今年は,あんまり良いことがあり過ぎて,すこし怖いわ。来年は,その反動があったりして・・・」

 瞬間,ドキッとする。

「そんなこと,ないよね」

と裕子は言いながら,本気とも冗談とも,とれそうな笑いを浮かべて顔を近づけてくる。 彼女には余計な心配をさせたくない。

「そうさ,縁起でもない。よいことは,素直によろこぶもんだよ」

「だよね」って,ハネ返るように元の姿勢へ。

 ・・・夜の海原には,光を放つ物体が浮かんでいた。それらは,ほんの僅かずつではあるが移動していて,かつ増えている。

「ねぇ,あれは・・・船だよね」 裕子も気になるようだ。

「どうみても,あれは屋形船だな。東京湾にも,こんなにたくさん屋形船が出るとは知らなかった。こんど,あれに乗ってみようか」

「わたしは,どこでもいいけど・・・なんだか,どんちゃん騒ぎしてる人が,いそうじゃなぁい?」

「それは最悪だな,やっぱし止めておこう」

 どんな風情なのか?・・・乗ったことがないので分からない。ともかく,次の約束はすべきではない。もういちど東京に来ることはないとおもうから。

 料理が順番に運ばれてきて,説明はうわの空で聞きながし,ドアが閉まってから食べたり話したりをつないでいく。

「あしたはどうするの?」

 訊かれるまで二日目の行動を考えていなかった・・・屋形船に乗ることはできないけれど,船で移動するのはいいかもしれない。

「水上バスで,浅草へ行こうか?」

「水上バス?」

「ほら,あそこあたりに・・・たぶん」

立ち上がり,らしきところを指さした。「お台場海浜公園の乗り場があるはずさ。そこから船が出ていて,隅田川をクルーズできるんだよ」

「いいわね,それ乗りたい」

「じゃ,あしたは浅草だ」

 はじめて乗船したときのことを想う。 真子に・・・これから一緒にしたいことがあるから,って浜離宮に連れていかれた。行ってからのお楽しみ,の一点張りで何も教えてくれない。着くまでがイヤに遠く感じられ,やがて見えてきたのは乗船場・・・そこへ水上バスがやってきた時には,知らない分よけいに感動を覚えたものだった。

浅草までふたりで乗った隅田川クルーズ・・・爽快な乗り心地と相まって,この上ない楽しいひとときであった。

 真子はどうしているのだろう。東京は真子との想い出の巣だ。手繰れば手繰るほど逢ってみたい気持ちが高まる。

 愛なき愛・・・なにひとつ求めないと言いつつも,一目でいいから逢ってみたい。話したいわけではない。その反対であって,この世に在るかぎり彼女には悟られたくない。ただ遠目で見るだけでいいのだ。

 ・・・とはいうものの,如何にしたら彼女に逢えるのか?

あのころ,まだ携帯電話はなかった。最後に逢ったとき,真子は携帯を持っていたとおもうが,あえて番号は訊かなかった。わかるのは・・・当時の自宅の電話番号のみ。

ダメだ,ダメだ,ダメだ。

いずれにしても電話はいけない。真子にとって,私はとっくに過去の人間なのだ。けっして彼女の現在に甦りたくはない。

 ・・・にわかに追憶とともに海の向こうから真子がやってくる。

『それに,あなたにはちゃんと・・・命をかけて愛してくれるヒトがいるんだもの』

 あのときのまんま,真子が私に語りかけてきたので・・・おもわず腕を組んで東京湾をフラリフラリあるいた。

『嵩子は・・・もう,オレのそばには,いないよ』

『別れたの?』

『そうではないけど,逢ってはいないさ』

『でも,別の女性がいるじゃない,なにも変わらないわ』

『違うんだ!』

と叫ぶやいなや,真子はレインボーブリッジの真上に舞い上がり,微笑んだかとおもうと姿を消してしまった。

 そうやもしれぬ・・・裕子がいる。

だけど・・・だけど,ちがうんだ! オレは,あのときから,独りで生きているんだ。 だから・・・死ねるんだよ。

『死ぬときには自ら命を絶とう』

 孤独と自死は,やはり密接に関係していると言わざるをえない。独りを貫くために死のう・・・あのとき真子の言葉に導かれるように,そう思った。

 私は自らに証明しなければならないのだ,独りで生きていることを。少なくとも実行できなければ独りでいることにはならない。

 もちろん真子にも証さなければならない。嵩子にも。そして裕子にも。それは下らない意地かもしれない。だが,孤独を失ってしまったら,わたしは私ではなくなるのだ。

 なんとでも理屈はつく。おもうに,大いなる道なのである。

自身もその道を形成している一部ならば,まさしく正しいとおもえるではないか。正しくなければ人は歩んではいけない。

そのうえで最終的に・・・タウ・タオ・タイなのだ。

 裕子を見る。 目が合った。

「また,考えごとしてたの?」

「ごめん」

「最高の夜景を見ていても,あなたは飽きてしまうみたいね。いったい,なにを考えていたの?」

「・・・孤独と共生について」

「きょうせい?」

「共に生きることだよ」

「たまには,わかるように話してくれる? 今夜は,わたしの願いをきいてくれるでしょ」

「うまく話せるかな。いつも自己流で考えているだけだから・・・」

「じゃ,自己流でいいわ」

「孤独な・・・人間だからといって,ひとりで生きていけるわけじゃない。生きるって,当たり前だけど,世の中を生きることだから,どんな人間であろうと,この世界を生きなければならない」

 ワインを一口ながしこむ。ここでわたしも休まなければ,という感じで裕子も一口ふくんだ。

「もし孤独な人間が,独りぼっちをハカなんで,人や社会や・・・くわえて自然をも避けてしまったら,それこそ一人になって存在している理由を失ってしまう。拠りどころがなくなって死んでしまう。自分がここにいる意義は,世の中のヒトやモノに接して共に歩んでいくこと,そこにしかないんだ」

 もう一口ワインをふくんで,ながしこむ。

「孤独な人間は,社会を受けいれて共に生きようとするとき,はじめて独りに価値が見出だせる。孤独を否定する世の中にあってこそ,独りに意味がある。独りをよしとする生き方が主張できる。だれをも拒んでまったくの一人であれば,独りに意味はない。だから,独りでありながら,だんじて一人であってはならないんだ。それが,孤独であっても共生ということだよ」

「とにかく・・・共に生きるということね,あなたも」

「まあ,そういうことだ」

「なぜだかわからないけど,あなたが・・・みずから死んでしまうんじゃないかって,ふっと心配になるときがあるの。でも,大丈夫ってことね?」

「おれは死なないさ」

肝心な,彼女に告げるわけにはいかないところを,私は省いた。

『とことん独りにこだわり,みんなと共に生きていくさ。だがな,その生の果てには,どうしても自死がある。孤独な人間のたどり着くべきところは,オレにとってはどうあっても自死でなくてはならぬ・・・最期を,オノレ以外のものに委ねるわけにはいかないんだよ』

ごめんな,裕子。 ほんとうは『自死するまで,オレは死なない』なのさ。

ところで・・・もしも真子と今も一緒にいたとしたら,オレは命を絶つのだろうか? わからない。それはわからないのだ。

ほんものの『愛なき愛』に到達できたかどうか? 命を絶つか否かはその点にかかっている。

「ねぇ,ダイヤモンドヴェールって知ってる?」

と,彼女は安心したのか,話題を変えてくれたので大いに助かった。孤独のことは他人に話し過ぎてはいけない・・・後味が悪くなるから。

「いいや,聞いたことない」

「東京タワーは,この時間帯になると週末だけ,特別のライトアップに変わるらしいわ。それをダイヤモンドヴェールっていうみたいだけど,今夜は平日だから見られないのね。それだけが残念だわ」

「また今度にとっておこう」

「わかったわ」

どうにも裕子には言えそうにない,この次はないのだと。

メインディッシュのビステッカを食べ終えてから15分ちかく経ったであろうか,ドアが開いて,食後のデザートが運ばれてきた。フルコースの料理は腹にこたえる。大きなティラミスは遠慮しようともおもったが,特別な夜にケチをつけたくなかったので,ジェラードもろとも頑張って平らげた。

時刻はあと少しで21時・・・屋形船の光は,いつのまにか数えるほどしか見えなくなっていた。






 夜が明ける前に目が覚めてしまった。真横で裕子は未だ眠っているようであったが,股間に溜まった力を逃がそうと彼女を抱き寄せる。耳元で息をふるわせ,右手で臀部をそっと舐めるように撫でまわす・・・彼女が反応し,しだいに縺れあい,ベッドがミシッミシッと軋みはじめた。

絡み合いが終わったとき,朝を迎えていた。

窓越しに,まばゆい光の筋がホテルに向かっている。日の出のつよい陽光が対岸のビルに当たって反射しているらしい。起きあがり,バルコニーに通じるテラス窓を開けた。

・・・東京湾に照りかえる朝の日差しが二条,まぶしく波間に揺れてよりいっそう煌めいている。

あの黄金の道・・・宮島の夕陽とそっくりではないか。とはいっても,これから輝きを増してくる朝陽は,なんとなく好きにはなれないけれど。

裕子も起きてきて「なんてまぁ・・・すがすがしくて,いいわね」

あかるい空にそびえる東京タワーは,夜ほどには強調されない。静かに納まっていて小ぢんまりとしている。

「アサの空気はおいしそう・・・」と呟いて,彼女はバルコニーへ出ていく。

眠りから目覚めようとする大都会。

・・・その光景は,夜でもない昼でもない束の間の安息を得たかのような静まりがあって,なんとはなしに安らぎのようなものさえ感じる。

「ねぇ,あそこに見えるのは,スカイツリーじゃない?」

 こちらを振りかえり,彼女は小声で叫んだ。まさか?・・・と答え,外へ出て彼女の視線の先を見やった。

となりのバルコニーが視界に入るくらい右側,お台場海浜公園のはるか向こうに,小さいものの細長い円柱状のものが見えていた。

「そうかも・・・」

「絶対そうよ。ねぇ,スカイツリー,見に行こう」

 このところなにかと話題にのぼるスカイツリー。未完成の時期だからこそ見モノかもしれない。たしか浅草からそんなに遠くないはず。

「よぉうし,きょうは浅草とスカイツリーだ」

 

 チェックアウトのさい,フロントで東京スカイツリーの場所を確かめる。前日に考えていた,水上バスで浅草まで行ってスカイツリーを見にいくルートもあったが,往きは電車に乗って帰りは水上バスを利用することにした。

 ゆりかもめとJR線を乗り継いで,忘れじの錦糸町へ。

正直に白状しよう,甘美な想い出が寄り道したい気持ちを抑えられなくしてしまったのだ。

 錦糸町・・・真子と結ばれた街。その名の響きは夜の繁華街にただよう妖しさを連想させる。かつて訪れたのも夜だった。

しかるに私が降り立ったところは,まるで見たこともない街であった。

夜になれば雰囲気が変わるのだろうか? ・・・それとも20年という歳月のあいだに変わったのであろうか? おぼろげに瞼に浮かぶのは,ラブホテルのネオンがきらめく情景だけ・・・思い起こそうとして,錦糸町を詳しく覚えていないだけでなく,ほとんど知らないことに気づいたのである。

 駅の周りを多少ぶらついて,地下鉄のりばに向かった。こころの中でオノレ自身に言い聞かせる・・・『錦糸町は,もういいんだ』 

 ひと駅で押上に着いた。総武線からもときおり雄姿がのぞまれたが,いよいよスカイツリーとじかに対面だ。

こころがちょっと躍る。どこから出たって関係なく見えるだろうと適当に出入り口を登った。

待っていたのは駅周辺の工事現場を囲むフェンスばかり。標識と誘導員にしたがい回りこんで一般道路へとすすむ。ところが,一向にスカイツリーらしきものが見えない。

道路を数十メートルほど移動しても依然として見えてこない。

「どうしてだろう」なにがなんだか,さっぱり分からない。

「ほんと,おかしいわね」

裕子も狐につままれたような顔をしている。出口がいけなくて反対方向へ来たのか? ・・・人の流れもまばらで判然としない。

元の地点へもどり,あちらこちら動いてみた。ぐるぐる見回すうち,突如として低めのビルの上方に先端のクレーン部分があらわれる。

「あそこよ!」と,彼女が無邪気に叫んだ。

「あぁ,おれも見つけたよ」

ナンのことはない。道路わきの建物で隠されていたのだ。「ふつうのビルでも・・・隠してしまうんだな」

駅前交番を過ぎて見えてきたのは,京成橋。

そこに立ってスカイツリーをながめる。展望台らしき構造物のうえにタワークレーンが設置され,いかにもぎこちなく・・・モサモサと空中ショーを繰り広げている。

北十間川沿いの道を歩いて東武橋に向かった。

ときどき立ち止まって仰ぎみる。真上にツリーを見上げるのは,相当にしんどい。まして強い日差しを浴びるから尚のことずっとは見つめていられない。

最上部のクレーンに至っては,アームの一部分が見えるだけで,作業のこまかい様子が分かりづらい。今更ではあるが,それなりに離れた場所からスカイツリーは観賞すべきであろう。

正面の基部のところに『現在のタワーの高さ428m』の表示があった。

「なぁ,完成すると何メートルになるんだっけ?」

「む・さ・し・・・だって」と,裕子がいとも簡単に答える。

「むさし?」

「六・三・四・・・634メートルよ。このあたりは,むかし武蔵って呼ばれていたんでしょ」

「なるほど・・・でも,それホントか?」

「さあ,そう言われると,わからないわ。病棟の患者さんが教えてくれたんだけど・・・」

 あとで調べてみると,むさしの件は事実であった。正式にそのように発表されていた。

東武橋からも見渡した。

地上の建設現場にもタワークレーンが幾つも立っていて,近い将来ツリーのまわりは目覚ましい大変貌を遂げるにちがいない。東京は絶えず再生を繰り返し,常に当代随一であり続けなければならぬ運命を背負っている。終わりのない人類の宿命みたいなものを感じた。されど私は,個人にしか興味がない。

『せいいっぱい,がんばれよ』

 一声かけてから,早々に帰ろうと真っすぐ高架橋に向かって急いだ。なにせ暑かった。さいわい業平橋駅という表示が見えてくる。こんなところに駅があるとは思わなかった。

さらに高架ホームに上ってびっくり・・・そこからは建設現場の内部が丸見えなのだ。しかもスカイツリーの真下に位置しており,見上げればくらくらと眩暈がするほど。 それにしても道を逆に戻らなくてよかった。ここに立たなければ見にきた甲斐がない,そう思えるくらい,このアングルからの眺めは刺激的であった。

「ねえ,できあがったら,どんなふうに見えるのかしら?」

 同じことを考えていた。

「すごいだろうな」

「完成したら,もう一回来ようね」

参ったな・・・とっさに嘘がつけなくて的外れな返答をする。「いつ頃,完成するんだろう」

「再来年?」

「そうか・・・」

「まあ,いいわ。わたし一人で見に来るから!」

 過敏に彼女は反応する・・・いかん,なんとかしなくては。

「ごめん,めちゃくちゃ混んでるだろうなとおもって・・・すこし経ってから見に来ようぜ」

「ぜったいよ!」

 ちょうどいい具合に電車がホームに入ってきた。

浅草は次の駅。 最後尾の車両に乗っていたら,前の方の車両に移動しなければ降りられないとのこと。これは東京で電車に乗っていてはじめての経験であった。

いまだ古さの残る東武浅草駅・・・そう遠くない将来,全面的に改築されることになるのだろう。

浅草といえば,浅草寺。

仲見世通りは相も変わらず人で溢れていたが,せっかく来たのであるからタマには人込みもいいか,と思い直して参拝することにした。

帰りがけに,仲見世で裕子がおみやげを買い求める。そのあと伝法院通りと交わるところで行列のできたメンチの店を見つけて・・・「あれ食べようよ」と例の調子で彼女にせがまれてしまう。

お腹も空いていたのでメンチを1個ずつ買うことにした。手にすると,めちゃくちゃウマそうなのだ。裕子の食べ物にかんする嗅覚はするどい。もしかしたら食べ歩く人をよく観察しているのかもしれない。

「肉汁で火傷しないように気をつけてください」

メンチを手渡すとき,店の人がお客さんひとりひとりに注意をうながす。そんな大袈裟な・・・と少々軽んじていた。だが,裕子の食べるようすを見ていてすんなりと納得できた。

彼女は口の中をわずかに熱傷し,肉汁がこぼれおちて服をちょこっと汚す羽目に・・・むろん私は無傷,犠牲になった裕子のおかげである。そんなわけで肉汁たっぷりのメンチは大変おいしかった。

 雷門通りに出て,お昼をどこで食べようか,いろいろ迷った末にファミレスに入った。ゆっくり休むことできたので賢明な選択だったとおもう。

 食事をする最中にも錦糸町のことを考えた。あの街並みを見たら,どういうわけか真子に逢いたい気持ちが萎んでしまったのだ。理由を探ろうとしたが,疲れているせいで頭がうまく回らない。

 帰りは予定どおり,浅草から水上バスに乗船し,北陸では味わえない乗り心地に大満足する。いい気分になって日の出桟橋で降り,電車を乗り継いで羽田空港から帰途に就いた。

 飛行機の中でも錦糸町のことが気になった。

当時をしっかり把握していない,覚えていないのがポイントなのではない。変わったと感じてしまう現代の街には出会いたくなかったということ・・・要するに,過ぎし日のおぼろな錦糸町でよかったのだ。

 真子にも変わってほしくない。かつてのままの彼女を見ていたい。もはや逢いたくはなかった。胸の中に生きている彼女こそ,私の真子なのだ。

 

 過去をめぐる旅をして,ひとつの結論に達した・・・真子とは逢わないほうがいいのである。

 




 9月7日の朝,病院に着くなり救急治療室へ呼ばれた。浅谷さんが来院したのだ。6日の夜遅くから息苦しくなり,我慢できなくなって通常の診療が始まるまえに救急センターを受診したらしい。

検査所見は先月退院時と著変なくバイタルも安定していたが,新たに背部痛が加わって,浅谷さんは思いのほか動揺していた。入院してから再評価するのがベストの方法と思われた。

「入院になりますよ」

「先生,よろしくお願いします」

 浅谷さんの苦悶の表情がいくぶんなりとも和らいだ気がした。




コメント

このブログの人気の投稿

( 1 )

( 13 )

( 5 )