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年が明けて,いよいよ・・・2011年。
元日は雪も遠のいて,日中には時おり青空がのぞいた。
初もうでに行きたい・・・と裕子がいうので,オセチを食べてから近くの八幡神社に出かけた。無名の社は家から歩いて10分足らずのところにあったが,日ごろ参拝する人を見かけることは滅多になかった。
この日も年始めだというのに,人っ子ひとり見えない。だが,知名度になんの意味があるだろう。私にとって大事なことは,ただひとつ・・・オレを想ってくれる裕子の望みを少しでも叶えたい。
彼女にしても式内社のような人気スポットでなくて良かったのだろう。地元の神社にでも行ってみようか・・・たんに立ち寄ったことがなかったという理由で,そう提案したときも嬉々として同意してくれた。大切なのは,ふたりで初詣りすることだったにちがいない。
石造りの鳥居から境内へ入る。
参道は除雪されていたが,狛犬と神馬は大晦日の雪を被ったままだった。左脇の手水舎をのぞいてみる・・・龍の口から肝心の水が出ていない。元旦の神事は執り行なわれていないようだ。
社殿は・・・昨今みかけることが多いアルミサッシで囲まれていたが,建物自体はさびれて久しいということが一目瞭然であった。
中央の短くて狭い階段をあがると,廻り縁があって,高欄の擬宝珠が目についた。どこもかしこも年季の入ったものばかり・・・とはいうものの,たとえば虫喰いの柱や隙間だらけの引き戸は,かえって守り続けられている歴史の重みを感じさせる。
残念ながら拝殿正面の扉は開かなかった。けれど,格子から中の様子が見てとれる・・・祭礼の飾りつけや供え物などの準備は整っており,奥のほうには小さな本殿が安置されていた。静まりかえった神殿は,世間の初もうでの喧噪とはおよそ無縁であって,祈りを捧げるにはもってこいの環境である。
だれもいない二人っきりの参詣は思いのほか気持ちがいい。されど,胸の奥のほうには絶えず名状しがたい冷ややかな波動を感じる。
・・・モトをたどれば,はじめて裕子と交わったときにも染まらなかった真っ黒の領域。忘れていても消えさることのない心の闇。共生のなかにあっても孤独を主張してやまない帳本人。
彼女と一緒に暮らすことには大きな安らぎをおぼえたが,一方で真には応えてやれない負い目を引き摺った。死を決意してからは尚更のこと。
『オレがいなくなっても,おまえに災いが降りかからないように・・・』
手持ちの小銭ぜんぶを賽銭箱に投げいれて,それだけを切に願いつつ柏手を打った。しかし,これは自己矛盾にほかならない。本当に望んでいるならば,死ななければいいのであるから。
こんなハシタ金では聞き届けてもらえなくて当然かも,って弁解がましい解釈をくわえながら,『しかたないんだよ,こればっかりは・・・それと,きょうはこのあと予定があって,ほどほどに引きあげるつもりだからよろしく』と,いつのまにか彼女への釈明と要望に変わっていく。
階段の真ん中に鈴緒が垂れ下がっていた。向きなおって振り鳴らすと,鈍くて湿った音色があたりにひびく。
『タウ・タオ・タイ』
撞着を包みこむ呪文となってココロに谺する。使命というものは達成されないはずがない・・・都合のいいように予期して余韻にひたる。
ついで裕子が勢いよく緒を振った。ひとりよがりの世界を蹴散らし,豊かに波打つように響きわたる鈴の調べ・・・こんなにも鳴らし手によってイメージは変わるものなのだ。
・・・あとの心配など要らぬということか。
「ちかくの神社もいいわね。お詣りする人がいないから,よけいに御利益がありそうだわ」
「だといいな・・・」と,新しい年を迎え,私は素直に答えた。
帰ってきて,すぐに病院へ向かった。
ぜがひでも元日に浅谷さんを診にいかなくては・・・そんな思いが,頭から離れなかったのである。
病室にいくと,患者は・・・主治医の危惧をよそに,しずかなれど,かすかな寝息をたてて眠っていた。
つかの間でも穏やかに眠られるうちは,まだ良いほうだと言わねばならないだろう。子供のような寝顔を見ていて・・・ハッとする。
初もうでにいっても,なにかしらそぐわない気持ちがしていた。潜在する意識のなかに,新年を祝うなら普通の場所ではいけないような感覚があった。どういうことなのか,ここへ来て分かった。
この病室こそ,まさしく予感された,今年の抱負を誓うには最適といえる処なのだ。じわじわと間違いではないことを実感してくる。
近ごろになって思うようになった・・・現実にけじめをつけるには時間が必要であったが,浅谷さんはそれを作ってくれたのではないかと。
自分自身で終焉への道を演出するのは案外に難しいことであろう。誓いを立てることで,その恩人に報いなければならない。
役目を知らない水先案内人に向かって念ずる・・・
安らかに眠れるよう,かならず看取るよ。あの世へ行けるよう,こころを込めて見送るよ。だから・・・今際のキワまで生き抜いてほしいんだ。
それが人の生きる道。
だけど,オレはそういうわけにはいかない。定められ,自らが定めた道を締めくくらなければならぬ。
年頭にあたり,ここで宣言しておきたい。
あなたの死を見届けたら,オレは・・・この世に見切りをつけて,いさぎよく自決するつもりだ。
それが,わが人生の終着点。
念じ終わると,浅谷さんは目を覚ました。いくぶん驚いた表情を見せて小声でつぶやく。
「せんせい・・・」
あまりにもタイミングが良すぎた。
・・・「おっ」
対応が一瞬おくれたうえに,オメデトウの言葉をとっさに呑みこんで「ことしも,よろしくおねがいします」
不自然に聞こえたことだろう。患者の心情をおもんぱかると,お祝いに関連する口上が躊躇われた。
ところが,そうしたコダワリなど浅谷さんにはなかったようなのだ。
「あけましておめでとうございます。わたしのほうこそ,本年もよろしくお願いいたします」
いささか考えすぎだったらしいが,ただ気遣いとはそういうものであろう。
「どうですか,気分は?」
「まあまあです」
正月に小康状態を得ているとはいえ,忌憚なくいえば,この冬を越せるかどうかもあやしい容態である。本人はそのことを,どこまで感じ取っているのだろうか?
「いま夢を見ていました。ナースさんとお喋りしていると,とつぜん先生に呼びかけられ,挨拶をかわす間もなく眠りから覚めてしまって・・・そしたら,いきなり目の前にいらっしゃったので,ほんとにビックリしました」
「ふしぎですね,ぼくも,心のなかで語りかけていましたよ」
「それを感じたのでしょうか? 新年の,さい先のよいスタートですよね」
「そうかもしれませんね・・・」
「わたしの行く先は決まっていますけど・・・せんせいには今年,きっといいことがありますわ」
「・・・」
返答に窮してしまった。浅谷さんにとってのよいことが,ぜんぜん思いあたらない。
「さっきまで,主人と娘が来ていました。孫娘に・・・来年は,お年玉をあげることもできないのですね」
『なんと愚かしい・・・オレ』
・・・見つからなくていいのだ。良さそうなことを短絡的に探しあてたところで,どのようなことも未来に繋がっている。その未来に対して,当人が鈍感であろうはずがないのだから。
「ごめんなさい。ちょっと前まで我慢できていたのに・・・」
泣いてココロが和らぐのなら,泣けばいい。しかし,そうではないだろう。よりいっそう悲しみが深まるような気がする・・・だからこそ,家族には涙を見せられなかったのではないか。
向かいあう人は溢れるものを拭おうともしない・・・ナミダは頬と酸素カヌラをつたい雫となってこぼれ落ちた。もはや助言することもできないし,同情を示すことすら憚られる。ただただ嘆息しつつ眺めているばかり・・・まるで真実をうつしだす鏡を見ているようだった。
「きょうは元日ですけど,先生なら来てくださるような気がしていました」
「ぼくも,浅谷さんの顔が見たくなりました」
「あと・・・どれだけ生きていられるのか分かりませんが,こんごとも,どうかよろしくお願いいたします」
「わかりました」
そう返事したくせに,ふたたび心に念じたことは,冷たいと非難されてもおかしくなかった。
『お迎えがくるその時まで,ありのままに,もがいて生きればいい。その一部始終を,この目におさめておくから・・・』
正月が明けると浅谷さんの病状は悪化の一途をたどった。
十分に食べられないため,毎日の点滴は中止のメドが立たない。排尿障害は改善する見込みがなく,尿道カテーテルも留置をつづけた。
心嚢水にあきらかな増加はなかったが,上大静脈症候群を合併して上半身に浮腫をみとめるようになった。もちろん徐々に増悪する。
ときどき背部と胸部の突出痛に悩まされ,疼痛コントロールも良好とはいえない。レスキューを内服するけれど,同時に傾眠をもたらした。
喀痰がおおく,絡みがつよいため吸入を開始する。しだいに末梢からの静脈ルートの確保が難しくなった。中心静脈カテーテルを鎖骨下静脈より挿入し,持続点滴を行なわなければならない。
1月末には寝たきり状態となり,軽い喘鳴をみとめる。酸素はカヌラからマスクに変更した。いくらかでも食べようと頑張っているものの,摂食できる量は微々たるもの・・・日々衰弱しているのは誰の目にも明らかであった。
2月中旬,呼吸困難が増強し,摂食は不可能な状況となった。
「せんせい,息苦しい,たすけて」
浅谷さんは呻くようにつぶやく。絶食として内服も中止,利尿薬などは注射剤に変更した。
家族を呼んでムンテラした。遅かれ早かれ意識障害に陥ることを説明し,症状を多少なりとも緩和する目的で,モルヒネの持続静脈内投与いわゆる持続点滴とステロイドホルモンの静脈内投与を提案する。ただし経過が早まる可能性を了解してもらった。
21日より,オピオイド貼付剤を中止して,モルヒネの持続点滴を開始する。ステロイドの点滴もおこなう。
22日,モルヒネを増量する。ステロイドの点滴は連日おこなう。
23日の午後,浅谷さんを回診すると,意外というか期待どおりというか,目をぱちくりさせて話し出すのだった。
「とても,調子が,いいのです。気分も,わるくない,ですし,痛みも,大したこと,ありません」
見たところ,努力呼吸をしていたし,相変わらず喘鳴もあった。息継ぎしながらの喋り方は,とぎれとぎれで苦しそうである。
ただ先週に比べれば,たしかに所見はこころなし軽減していた。悪くなる一方だった症状が,はじめて軽くなったともいえる。
浅谷さんにしてみれば,それが嬉しくてたまらないのかも・・・また薬物の影響も加わっていたかもしれない。
「いいですね・・・浅谷さん」
「はい。会話できて,うれしいです」
「ぼくも,もういちど真剣に語り合いたいと,思っていました」
「足かけ,3年間,たいへん,お世話に,なりました」
「浅谷さんこそ,精一杯,闘ってきましたよ」
「たくさん,悩み,ました。でも,もう,迷いは,ありません。やっと,看取って,もらえる,実感が,するのです」
「・・・」
「なに,ひとつ,できなく,なってから,ものすごく,苦しく,なってから,これでもう,ダメと,わかって,から,ようやく,正直に,せんせいに,すがる,ことが,できました」
患者の発言は,考えてわかる領域を超えていた。私には聞くことしかできなかった。
「いま,ふしぎと,満たされた,気分,なのです」
非常に息苦しそうなのに,何故なのだろう,その人の表情にはわずかの曇りもなかったのである。
「せんせいの,お蔭だと,おもって,います。わがままを,きいて,くださって,本当に,ありがとう,ござい,ました」
「ぼくは,出会えてよかったと思っていますよ」
「できれば,あの世,でも,主治医を,よろしく,お願い,します。わたし,待って,います」
来世のことは請け合えないが,この世にいるかぎり,目下の気持ちで答えても構わないだろう。寒々とした心根は変わらないし,浄土へ往くことはないにしても。
「では,いつになるか分かりませんが,待っていてください」
直後に,浅谷さんは一瞬の笑みを浮かべた。その微笑みをどこかで見たことがあるのだが,この場ではどうしても思い出せない。
夜になって病室を訪れると,患者は眠りについていた。
日中よりも安らかそうだった。呼吸不全の患者では,眠っているときのほうがバランスのいい息づかいをする場合がある。
部屋を出るとき,念のため浅谷さんの顔を視診した。とくに問題はない。しかしながら,日中の好調と夜の安眠は,ひょっとして嵐の前の静けさではないか・・・という懸念を抱かずにはいられなかった。
24日,不吉な予感が当たった。
午前外来の前に病棟へ駈け上がる。すると,すでに浅谷さんの意識はなかったのだ。
外来が終わってから,ご主人と娘さんにムンテラする機会をもつ。
このままでは高二酸化炭素血症のため意識はもどらないこと,したがって,あとは最期を見守るしかないこと,いずれ心停止にいたるが蘇生の処置は行わないことを再確認した。二人に異存はなかった。
「ほかに何か訊きたいことはありますか?」
問いかけに反応するように夫が語りだした。
「きのう,あいつはウソみたいに元気でした。自分にも娘にも,きっと話せるのは今日で最後だからと言って,昔のこととか,病気のこととか,いろいろ一生懸命にしゃべって,なんども感謝の言葉を口にするんです。疲れるから眠ったほうがいいって,いくら忠告しても聞く耳をもちませんでした。あんなに頑張ったせいで,ぜったい死期が早まったにちがいありません。途中で,むりやりでも休ませるべきだった,そうおもいます」
事情の解釈が違っている・・・そのような後悔の念など,医師である私には一切なかった。かといって,身内の心情をとやかく言うつもりはない。
「先生には,長いあいだ家内をみていただき,ありがとうございました。あいつもたいへん感謝しています。話せない妻になり代わって,こころからお礼を申し上げたい」
このあと,ただちにモルヒネの点滴は中止した。オーダーの削除と変更をおこない,ステロイドの投与も翌日から取りやめの指示を打ちこんだ。
2011年2月28日,月曜日,午前11時7分。
浅谷富子さん,家族全員に見守られ,安らかに眠るように逝く。 享年67。
満66歳の往生であった。
死に顔を目に焼きつける・・・そのとき瞼のうらに,5日前に見せてくれた刹那の笑みがよみがえる。
そうだ!・・・あの表情は菩薩にそっくりなのだ。どうりで人智を超えていたはずだと,妙に納得する。
正午ちょうどに浅谷さんを見送る。 合掌して,恩人と永訣した。
その日の午後は,どうにも落ち着かない。
心カテが1例予定されていたが,検査のみでは昂ぶった神経を抑えきれず,気合いと時間を持てあました。もし・・・インターベンションを行なっていたならば,どんな難しい病変にも挑戦していたことだろう。
検査のあと,さっさと仕事を片づけて,時間になると帰宅した。
家には・・・裕子はいない。そういえば準夜勤務だった。テーブルの夕食を食べてから,あてもなく車を走らせる。
べつに意識したわけではないが,気がつけば有料道路・・・こんな時はやっぱり海を眺めたかった。
パーキングに車を止めて,防護柵の前に立ってみる。 外はかなり寒くて,春はまだ遠い。
大海原は・・・真っ暗闇に呑みこまれ,まるっきり見えない。が,風の音にまじって潮騒が聞こえた。こころは波打ちはじめる。
浅谷さんが亡くなったことで,私の精神はあきらかに動揺し,変調をきたしていた。いかなる心理が働いているのだろう?
・・・ひたすら待ちわびたことをようやく手にしたというのに・・・ついに自死は完全なる専決事項となったというのに・・・どこかに不協和音が生じているらしい。
11か月かけて自己を検証してきた。
期間が適切であったかどうかは分からないが,結論として,我が道に変わりはなかった。それは十二分に是認できることだった。
ところがどうだ。
患者の死去により実現可能となってみると,これでいいのだろうか,という一種不安めいた感情がうごめいてくる。
突きつけられた感じがして,はやる気持ちの奥に,このような運命を背負わなければならない恨めしさが息を吹きかえす。
人なら・・・あたり前のことか。
考えることを止め,海から吹いてくる風を思いきり吸いこんで一気に吐きだした。
タウ・タオ・タイ
・・・すべてはこのまま。
ここに存在する,ありとあらゆるものは,そのままでいいのだ! 悪であろうが,凶であろうが,不運であろうが,それがナニであろうとも。
でなければ・・・人間は,もちうる十全なる能力をいかんなく発揮することはできないであろう。
タウ・タオ・タイ
・・・タウをもって,タオにしたがい,タイをつくしぬく。
あるがままでよければ,イツであれドコであれナニであれ,ひとつとして求めるものはない! ただ,生のかぎりを尽くすだけだ。
であるなら・・・求めないままに追求することができるであろう。
タウ・タオ・タイ
・・・いっさいのことは,そのままであり,それなりであり,それだけである。
それ以上でも,それ以下でもない! できなければ,できなかったことがそこにあり,できていたら,できなかったことはないのだ。
ならば・・・そこに,ありのままの価値を見いだせることであろう。
呪文は不安を一掃する。悲運を肯定する・・・わたしは私でよいのだと。
真実の言の葉は善悪を選ばない。行なうのは人間である。
人によって・・・善にもなり,悪にもなる。すなわち,善にあっては善を,悪にあっては悪を,あと押しするのだ。
邪悪に通じぬことは,真の本質を捕らえてはいない。
暗闇の海のかなたに,またしても浅谷さんのあの笑みが思い浮かぶ。アルカイックスマイルも,いってみればタウ・タオ・タイなのだ。
しぜんと顔がほころぶくらいに,神経や感情の昂ぶりは鎮まりつつあった。そろそろ引き返すとしようか。
かえる道すがら,決行の日を定める・・・2011年3月13日の日曜日だ。 もはや躊躇いはなかった。
深夜,裕子が帰ってくる。頭が冴えて眠れないので水割りを飲んでいた。
「きょう,いや,もう昨日になるか,浅谷さんが亡くなったよ」
「ホントに・・・なんじごろ?」
「午前11時過ぎかな」
「あなたは,よく頑張ったわ・・・おつかれさま」
「そうでもないさ・・・」
自分のことを・・・これまでどうしても言えなかった部分を,なぜか無性に語りたくてしょうがなかった。しかし,どのあたりをどんなふうに説明したらよいものか? とてもじゃないが簡単には言いあらわせそうにない。明日も,明後日も,おそらくいつまで経っても,伝えたいことのほんの僅かでさえも口には出せないのではないか!
そのとき,ぴったりの方法を思いたって机に向かったのだった。
『おまえに・・・最初で最後の手紙をしたためて,そうしてこの世を,生きおさめることにしよう』
3月3日,木曜日。
夕食を軽めに済ませて,裕子といっしょに映画を見に出かける。
「こんな日にかぎって,雪が降るんだから!」
彼女が嘆くのもムリはない。雛祭りの日は冬がぶりかえし,ずいぶん寒い日になった。前日,誘ったときには天気は悪くなかったのだ・・・大雨男の異名は,いまだ健在といわねばなるまい。
映画といっても,とくに見たい作品があったわけではない,上映中のものから適当に選べばいいと思っていた。けれど,見納めにふさわしいものがなくて多少がっかりする。
人とは,かならず期待しているものなのだ。
落胆しながらも映画館で『あしたのジョー』を選んだ。内心では,大好きな漫画には遠く及ばないだろうと高を括っていた。
ところが,実写映画にしては思いの外よかったのである。登場人物にはアニメ同然の雰囲気がただよい,ジョーと力石の生きざまは私に勇気を与えてくれた。頭のなかには漫画のラストシーンが呼び起こされ,燃えつきて真っ白な灰になったジョーがスクリーンの映像に重なって見えていた。
・・・あの顔に浮かんでいるのは,タウ・タオ・タイの笑みなのだ。なぜ今まで気づかなかったのだろう。
そうおもうと,このタイミングで上映されているのが,なんとも奇妙な感じがした・・・偶然にしてはあまりにも出来過ぎていやしないか!
3月4日,金曜日。
夜,呼吸と循環をテーマにした講演会に出席する。
近年では,心不全の基本治療に人工呼吸器による換気療法が用いられ,在宅でも臨床応用されている。今後はさらに,インターネットを通じて在宅での換気状況のモニタリングを行ない,その情報をフィードバックさせて治療にも役立てる・・・といった内容だった。
すばらしい研究と臨床応用である。心不全の管理はさらに一歩前進するといってよいであろう。
だが一方で,精神的錯誤もますます深まるにちがいない。
人間はいつか死なねばならぬ運命を背負っている。その定めをシンプルに受け容れるのが困難になってしまうことだろう。
このことは・・・ある重要な認識能力が,退化していくことを意味しているのではなかろうか。
3月5日,土曜日。
午後5時より当直の業務につく。
医師にとっては,もっとも好きになれない時間・・・そうではあるが,この役目はもう二度と回ってこないことを惜しみ,対処することを楽しんだ。
準夜帯で10名,深夜帯で3名,合計13名の内科系患者の診療を担当する。おもったほど睡眠時間はとれなかった。
明けて日曜日,自宅へ帰るやいなや,二時間ばかり眠りこけてしまう。起きてからは,久しぶりに大好きなエルヴィスの
CD をたっぷりと聴いた。
エルヴィス・プレスリーはそのルックスとカリスマ性もさることながら,あの歌声と天性の歌うセンスには独特の魅力とセクシーさがあって,後世に再来と評されるほどの歌手があらわれるとは思えない。
ちなみに私が一番気に入っているのは,スタジオ録音もライヴも,断然カムバック後の1969年のエルヴィス。
3月7日,月曜日。
午後,71歳の男性に対して,主治医としては最終となるはずの,冠動脈インターベンションいわゆる心カテ治療を行なう。
患者は,57歳のとき心筋梗塞を発症し,もともと他病院に通院していた。
62歳のとき,夜間に発作をおこして救急車でうちの病院に運ばれ,緊急心カテ治療を行なって以来のつきあいになる。
当時から男性は,百歳まで生きると公言して憚らなかった。
「目標の年齢まで生きられるかどうかは,ひとえにドクターの腕にかかっているんだから・・・ぜひとも,よろしく頼みますよ。それには,先生にも長生きしてもらわないとね!」
これまでインターベンション治療を5回施行していたが,ここ6年間は発作をみとめず,心カテを行なわなくてもいい状況であった。
最近になって胸部不快感をみとめたという。聞いたかぎりでは発作らしくなかったが,断定はできない。基礎疾患として糖尿病,高血圧,脂質異常症をもっているのだ。通常の検査に異常がなくても,このあたりで心カテを実施するのが妥当である。
「いつまでも元気でいたいのなら,今年はカテーテル検査を受けてもらうよ。そうでなければ,担当医を降りるから!」
「先生,それはないよ」と,口を尖らせる。「それじゃ,イヤだなんて,言えっこないよ」
強迫じみた指示であっても,患者は素直に応じてくれる。少しでも長寿の実現に協力したい。
ところが・・・蓋を開けてみると,結果は予想以上に,きわめて重症だったのだ。バイパス手術は避けたいとの希望があって,完全閉塞を含む3枝病変に対して戦略を立てなければならなかった。
まずは一回目,右冠動脈中間部をターゲットに・・・以前留置されたステント遠位端の完全閉塞に対してインターベンションをおこなう。
それに成功すれば,二回目以降,他の部位に対しても心カテ治療が可能である。しかしながら・・・一回目が不成功に終わるならば,完全血行再建をめざして外科的治療を選択するのがベストであろう。
浅谷さんの看取りが終わったあと,急いで本人に連絡をとり,7日にカテーテル治療の時間枠を確保した。
インターベンションの当日。
術直前,自身の発作予防のために硝酸薬を舌下し,わたしは万全の態勢で手技に臨んだのだ。
けれども・・・無念至極,かたい病変部を打ち抜いて血流を復活させることはできなかった。ガイドワイヤーを真腔に通すこと能わず,開始から約2時間後,造影剤の漏出を認めたところで中止を余儀なくされたのだった。
その場で,冠動脈バイパス術の検討を患者に宣告する。
翌日,撮影した動画を解説しながら,治療の経過と結果および今後の方針についてムンテラした。
外科的手術以外の手段・・・名高い病院を受診し,卓越したスキルを有する医師のもとで,再度カテーテル治療に挑戦してみることも提示した。
患者はこう答えた。
「せんせいが,そう言うのなら・・・仕方ないね,バイパス手術を受けるよ」
3月9日,水曜日。
その男性は心臓血管外科を受診し,外科的血行再建術は決定した。自己血保存の期間を考慮して4月5日の施行予定となる。
退院するさい,患者が訊ねてきた。
「手術がうまくいったら,百歳まで保証されるだろうね」
白寿を超えて生きるとは,そもそもどういったことであるのか,知っているのだろうか。
現代では,九十代の人の診療は外来でも珍しくなくなったが,自立した患者はきわめて稀なのであって,ケシ粒ほども私には望みたくない将来である。そのせいか,つい言い放ってしまう。
「たしかなことは,ここで手術を拒否すれば,長生きは絶対ありえないってことかな。平均寿命だって難しいだろうけど・・・どうする? キャンセルしてもいいんだけどね」
「いいわけないよ! 先生も,いやに酷な言いかたをするね。ちゃんと手術は受けるから,患者に希望を持たせてほしいよ」
いかんな・・・いつのまにか自分の領域に入り込んでいた。
「信じる者は救われる。立ち向かっていけば,なんとかなるもんだよ。夢が叶う可能性もじゅうぶん出てくるね」
「ありがとう,先生。おれは,挫けないよ」
やはり言えない。もう主治医をつとめられない,とは告げられなかった。ということは・・・インターベンションが成功していれば,すべての心カテ治療が終了するまで,決行の日は延期せざるをえなかったであろう。
なんとなく障害が避けられている気がするのだ・・・これが,タオなのか?
3月10日,木曜日。
・・・あと三日後に迫る。
職務に関しては,ほとんど気になるところはなかった。その日の仕事は曲がりなりにもやり遂げて次の日に持ち越さないこと,それだけを心掛ける。
私がいなくなれば,差しあたって循環器の医師が分担して代わりを務めることになるだろう。しばらくノルマはきつくなるが,いずれ大学からドクターが派遣されるはずであるから,なんの心配もいらない。
消え去ってしまえば,なかったように流れていく・・・それなりに割り切れていなければ,自死なんて行為はできやしない。もしくは考えないか,どちらかである。
とはいっても心はやっかいで,裕子のことは絶えず脳裏を去らなかった。
昼すぎ,勤務している彼女にメールする・・・今夜,おまえの家で夕食が食べたい,19時頃むかえにきてくれないか。診療の合間に確認すると,返信が届いていた・・・わかったわ。
診断書などを作成していたら,目安の時刻はとっくに過ぎてしまい,あわてて帰宅することになった。エントランス前の道路にはパールホワイトの見慣れた車が停まっていた。
ゴメンな,と謝って,ほどよく離れたショッピングセンターへ出かける。いつも裕子はひとりで買い物をしていたから,久方ぶりにふたりで腕なんぞ組んで回ってみたいものだ。
気持ちが通じたのか,彼女は身体を寄せて手を絡ませてくる。その顔には,ささやかだけど静かな悦びの色が浮かんでいた。ふだんはどんなにか自分を抑えていることだろう・・・ひしひしと思いが伝わってきて,どうしようもなく胸が痛んだ。たとえ死をもって自らを罰したとしても,帳消しにはならないくらい罪を重ねているのだとおもう。
いったん自宅にもどって品物を置いてから彼女の住居へと向かった。
「どうして急に,あたしんちで食事がしたくなったの?」
そう問いかけて裕子はオーディオのスイッチをオンにした。聴きおぼえのあるポップスが流れるけれど,曲名も歌手もわからない。
「もちろん,気分転換さ!」
よくぞ言えたもんだ,こんなデタラメ・・・と,我れながら感心する。
できるだけ大事なことを記憶にとどめて,その時を迎えたい・・・気づいてしまうと,何としても身近な人の住みかへ行きたくなったのだ。
「インスタントラーメンが食べたいって,本気?」
「そう,おまえの作った,あの塩ラーメンが食べたくなってさ。あっ,具は入れなくていいから! なんにも入ってないヤツが食べたいんだ・・・ところでさあ,この歌は,なんて曲?」
「ファースト・ラヴ・・・宇多田ヒカルの曲だけど,これはカバーよ」
さすがに今どきの音楽にうとい私でも,ウタダの名前は知っていた。
近ごろの歌をあまり真剣に聴くことはない。たまにメロディが頭に残ることもあるが,歌詞に気を引かれることは皆無といっていいほど。だのに,こいつは違うんだ。やけに文句がこころに沁みてくる・・・きっと裕子のことが重なるからなのだろう。
4階にある3LDKのマンションに着いた。11年前に新築で購入,彼女は2LDKタイプに改造して住んでいる。
思ったより腹が空いていた。さっそくビールで乾杯し,買ってきたばかりの惣菜を口にする。そのあいだに裕子がサーモンサラダを作ってくれた。
「このサーモン,北海道の友達が送ってくれたのよ」
なるほど厚切りなのに,とろけるようなおいしさだ。アルコールにも抜群に合うから,みるみるうちに角瓶の水割りを3杯飲んでしまった。 あとは例のモノを待つとしよう。
「はい,ただの塩ラーメンですよ。どうぞ,召し上がれ」
リクエストするなら他の食材にしてくれない,といった料理人の嫌みが込められている。でも,忘れられない,とっても懐かしい味なのだ。で,それは素の品(スのシナ)でなければいけない。味が薄まってしまうか,または変わってしまうか,になるから。
学生のころから食べているが,裕子の拵える素ラーメンの味を知ってから,自分でつくる気がしなくなった。食べる状況に応じ,タイミングを見計らって早めに麺をあげる・・・それがコツだと分かっていても,私のつくったヤツはイマイチおいしくない。要するに,料理センスの差ということだろう。
「めちゃくちゃうまいよ! アリガト」
「最近は,そうでもないけど・・・むかしは酔っぱらうと,しょっちゅうラーメンが食べたいって言ってたわね」
「そうだっけ?」
惚けてみせたが,私も思い起こしていた。ここへ引越してくる前のアパートは2階にあって・・・あまりよく覚えていないが,たしか2LDKでキッチンは対面ではなかった。
あの夜も,かなり酔っていた。なにか食べるものあるかな?・・・と呟いたら,具なしのラーメンならできるわ・・・おまえはそう答えた。じゃ,それでいいよ・・・って,頼んだのが最初。
「はじめてウチへ来てくれた日・・・せっかく誘ったのに,あなたは塩ラーメンを無言で平らげて,そのまま横になってしまったのよ,おぼえてる?」
「ラーメンのことは分かるけど,あとはさっぱり・・・」
「ちょっぴり淋しかったわ。でも,寝顔を見ていたら許せてしまった・・・」
「ホント,わるかったな」
ふと見やると,彼女の目は潤んでいた。
「どうした?」
「・・・」
返事がない・・・変なこと,喋ったかな?
「ちょっと思い出したの・・・」
「なにを?」
「・・・」
おたがい言葉に詰まる・・・ナミダは,いずこから? 顧みても思い当たるふしはない。たった数秒の沈黙,それがすごく長く感じられた。
「ぜんぜん身に覚えがないって・・・しあわせなことね」
憮然として心の中でつぶやく。あの頃だったら,あるいは思い返せたかもしれないが,いまとなっては無理というものだろ!
「敷き布団に移ってほしくて呼びかけたら,あなたは,けんめいに起き上がろうとして・・・だけど,ふらふらと倒れ込んでそのまんま縺れあった・・・」
だからといって,オレが激しく非難を受けるほどのことでもあるまい。
「そして,半分眠っていながら,あなたは必死で飛び込んできて,果てることなく深い眠りに落ちていってしまったわ・・・」
それで,ナニ?・・・「わたしのカラダのナカで」
ん?・・・待ってくれ! そいつなら夢ではなかったのか? かすかに現実ではない映像として頭に残っている。が,勘違いだったとして,だいたいナミダと,どのような関係があるというのだ?
「妊娠したのは,そのときだけ・・・」
忘却のかなたに置き去りにしていた疑問が,またたく間に呼び覚まされて,しかも瞬時にして氷解した。
そうか,そうだったのか・・・あの日,そんなことがあって,おまえは妊娠したというのか!
「なのに・・・あなたを失ってしまうのが怖くて,取り返しのつかないことをしてしまった・・・」
断腸の思いで受けたであろう掻爬のことを言っているのだ。眼からナミダがボロボロとこぼれる。
「おろかだったわ・・・あとでまた,命を授けてもらえるんじゃないかって,心の片隅で期待していたのよ。あぁ・・・どうかしていたわ。あの子を蔑ろにしたから,バチがあたってしまったんだわぁ」
『バチがあたるとしたら,オレのほうだよ・・・』
「・・・いまだに悔やんでも悔やみきれないの」
今もって深い自責の念にかられる裕子のすがたは,見るに忍びないほどココロにこたえた。そういえば,麻酔の覚めぎわに発せられた,あのうわ言にも本意が明かされていた。
『守らねば!・・・この子を,わたしが守ってやらねば!』
「ヒロコ・・・」
いかなる言の葉も無意味に感じられ,おもわず彼女を抱き寄せる。そのあと二度とふたたび命を授からなかったのは,オレが妊娠を避けたから・・・さぞかしおまえの胸には悔しさが募ったことだろう。
「ごめんな・・・」
つくづくイヤになってきた。またもや自分の身勝手さを思い知らされる。
・・・それでも,いまさら自己は変えられぬ。使命をまっとうして最期を遂げることは,どうあっても譲るわけにはいかない。
おもえば,いつだってわがままを押し通しているのだろう。この日もつまりは同じことであった。
人生の幕引きをするという覚悟は,気がつけば,みだらな欲望へと繋がっていった。思いのたけを込めて愛しき人を抱いていたのだ。
さっきのナミダいっぱいの顔が浮かんできて,ラストは自然にまかせて裕子と一つになろうとおもった。
コトが終わったとき,潔さは消えて無くなっていた。惨めな気持ちに陥っただけのことだった。この世での仕納めに一体となって果てたことは,卑怯そのものとしか言いようがないではないか!
夜明け前,自宅まで送ってもらう。車のなかで,もう一度ファースト・ラヴを聴いた。
3月11日,金曜日。
午後,病棟回診をしている最中に多少の揺れを感じ,テレビからは臨時ニュースが流れていた。東北で地震が発生したのだという・・・病室を回っていたせいもあって,とくだん気にはとめていなかった。
夕方になっても,さほど深刻だとは思われない。地震大国では仕方ないことと片づけられる範囲内でしか物事を考えていなかったのである。
この日の映像にはじっさい,想像もつかないほど甚大な被害を受けた地域からのものはなかった。壊滅的な損害を被っていれば,即座に正しい情報を発信したくても物理的に不可能なことなのだ。
3月12日,土曜日。
しだいに言語に絶する惨状が明白になり,様々な災害の規模は予想をはるかに上回ることになった。おそらくは・・・大震災と呼ばねばなるまい。
前代未聞というべきは,東北地方の太平洋沿岸部一帯が大津波に飲み込まれて,まさか・・・海辺の街という街が一つ残らず,かつ跡形もなく破壊されてしまったことだ。対処のしようがなく大災害に及ぶのは必至の状況である。さらに未曾有の原発事故の発生も懸念される。
「本当は,どれほどの人が犠牲になっているのかしら・・・」
という裕子の疑問に,現時点では答えることができない。被害が大きすぎて概要すら把握できていないのだ。
テレビも異常事態だった。どのチャンネルを入れても特別番組ばかり。そのうえ全CMは例外なく放送中止となり,代わって公共広告が耳にたこができるくらい繰り返し放映されている。
この大惨事の意味するところは何なのであろう。この期に及んで,タオは私をして何を知らしめようというのか。
いったい,なにゆえ,この日なのだろう?
慈悲なんてものはヒトカケラもない・・・想定外の巨大津波によって,老いも盛りも若きも幼きも,あっという間に生命が奪い取られてしまった。
生きるべき人間が命を落とさねばならなかった現実を軽んずるな! 死んだほうがましとおもう人間も生かされていることを忘れるな! 残っている人間は生をまっとうすべく努力をおこたるな! そういうことなのか?
それとも,自ら死のうとすることはタオに反するとでも諭したいのか?
そうではなくて,たとえ差しあたり死するのが適っていると思われても,生きていれば誓って答えは違ってくる,とでも言いたいのか?
なんにしても,このままの状態では自刃できないとおもった。こころに生じた波紋は大きく広がるばかりで,一向に終息しそうにないのである。
テレビ報道を見ていても埒があかない。
「本屋に行ってくる」
そう裕子に告げて外へ出かけた。ふつうなら海に行くところだろうが,明日という日にしっかり向き合うつもりであるから,こんな心持ちで海にアイ対したくはない。
歩きながら思いをめぐらす。
真子と別れてからというもの,ずっと自決のことで頭を悩ましてきた。心発作を自覚してからは,より深く自己を見つめなおした。そうしてオノレを問いつめて辿りつく結論はいつのときも同じだった。
わたしは,自身の内部から,激震を起こすことを決めたのだ。
はからずも,あるガン患者の看取りをおこなう使命が与えられ,それからは身の回りの整理もしてきた。
その日は,必然の成り行きとして定められた。今さら考えることなど,あろうはずがない。
しかるに土壇場で状況が一変した。
天災によって,生命の尊さが,まさに浮き彫りにされたのだ。それはすなわち,自死することは紛れもなく罪悪である,と決めつけられたようなものだ。
立ち止まり,いちど深呼吸をして,呪文を唱える。
『タウ・タオ・タイ』
じつは,これは呪文なんかではない・・・実在する真実なのだ。大地震がタオであるなら,私もタオである。
不測の天変地異に見舞われて大勢の人々が亡くなったこと・・・そのことが悲惨であってもタオであると宣告しなければならないのなら,自らセットした内部爆弾によって死することもタオであると宣言しなければならない。
わたしは,現存するタオ!・・・同じくタオの一部分なのだ。
まわりに気づくと尾山神社の近くにいた。もう来ないと決めていたけれど,これもタオなのか・・・東神門から境内にはいる。
拝殿前の梅の木には花が凛として咲きはじめていた。北側の端のほうでは,すでに五分から七分くらいは咲いているのに,正面のほうは・・・これから開こうとしている。
淡い薄紅色・・・吸い寄せられるように,心がなごむ。
梅の花も,雪吊りも,白いものが積もっていたなら,よりいっそう映えるだろうに・・・一度でいいから,雪中に咲くありさまを見てみたいものだ。
と,おもわず笑ってしまった。 無いモノねだりも,死を避けようとするのも,たいして違わないじゃないか!
神苑のまえに立ち,再会をはたす。
つい先ほどまでの苛立ちはいつしか消え去り,ふしぎと清々しい。藤棚には緑はなく,春は未だしの感は否めなかった。
しずかに向き合っていると,語りかけられているような気がする・・・それで,いいのだよ。
『ならば,信じよう・・・信じて,信じきるのだ』
自決は・・・いわば,挑戦である。
現実がいかに変化しようとも,己れ自身を相手にする闘いは,変わりようがない。そんな,変われない自己を信じよう。
真子を,嵩子を,そして裕子を信じよう・・・ここに在るもの,すべてを信じるのである。
目を覆いたくなるような災禍であっても,受けいれて信じる以外に生きる術はない。どんな試練にも,信じ抜いて耐えていかねばならぬ。
でなければ,成就することはないのだよ・・・批評家のようにつぶやく声が聞こえた。なんとはなしに微笑む。
『これでこそ,お別れだ』
参拝はしたくない。東参道より外へ出た。
家にかえると,特別番組では,東京電力福島第一原発1号機の原子炉建屋が水素爆発したことを伝えていた。
最悪の泥沼状態ではないのか?・・・と疑いたくなるほど,テレビ報道では実際の状況が判然としない。
3月13日,日曜日。
5時半ごろに起床・・・ついに,この日がやってきた。
裕子が食事の支度をしてくれるあいだに朝刊にざっと目をとおす。大惨事の記事で埋めつくされていて,やりきれない気持ちになった。最新の情報には接したくない・・・なのでテレビはワザとつけなかった。
朝食をとったのは,6時10分頃・・・むろん,ふたりでいっしょに,食パンにハムエッグという定番メニュー。
ときおり我れをわすれて,彼女の顔立ちをじっと見ていると,なにか付いてる?って裕子が訊く。いつ見てもキレイだから,とマジメに答えるが,朝っぱらから冗談はよしてよね,って取りあってくれない。
どことなく初恋の女性に似てなくもない・・・目と鼻と口のそれぞれは違っているけれど,輪郭や各パーツの全体的なバランスが,不意になつかしい面影を偲ばせたりする。とはいえ,あの冷たい美しさとは似ても似つかない感じであるから,長い年月のうちに思い違いが生じたのかも?
いきなり突拍子もないことが頭に浮かんだ。
冷たさを温かさにして生まれかわったとしたら・・・それは,裕子になるのではないか!
バカげてる・・・と思いながらも,何であるのか分からずに追い求めていたものが,あたかもぎりぎりの段階で見出だされたような気分になって心が満たされていった。
7時過ぎ,彼女が出勤する直前,玄関でみじかいキスを交わす。たぶん自宅マンションに立ち寄っていくのだろう。
「行ってきま~す」
両手をふって出かけていく,真っ白な・・・恋人。
「行っておいで」
と,片手をあげて見おくる。そのような普段と変わらないやりとりが今生の別れとなった。
あとはじっとしてなんかいられず,見えなくなるまで別れを惜しもうとベランダへと走り,とおく垣間みえる道路に必死に焦点を合わせる・・・そこを彼女の車が通り過ぎようとした刹那だった。
なんと,裕子もこちらを見やったのだ!
その不安に駆られたような眼差しが頭から離れない・・・おまえは何かを感じ取っていたのだろうか?
『すまない・・・』 今しがたの顔つきをココロに噛みしめる。
これまで,ほんとにありがとう,元気でな! ・・・『さよなら』
用意をするうちに,残していくものに万感の思いが込み上げる。ほどほどのところで手を打たねばならぬ。
仕上げの一筆を手紙に書きくわえ,封をしてテーブルの上に置いた。キッチンから包丁を取りだし,新聞紙に包んでボストンバッグに入れる。
これで,もういい,出発しよう。 目ざすは,奥能登・・・輪島のむこう,曽々木海岸の手前あたり。
13年前・・・いざという時のために,自死の地を求めて奥能登を探しまわった折りのこと。
輪島より先の海沿いの道路を走っていると,曽々木付近で路肩が大きくふくらんだ箇所があった。もしやとおもい,広がる景観をたしかめる・・・車外に降り立つと,道路の下は海岸線まで緩やかな斜面を描いており,中途には痩せほそった松が一本だけ根づいていた。その一本松こそ恰好の死に場所におもえたのだが,その後ふたたび訪れることはなかった。
なにぶんにも位置の記憶はあいまいで,現在でも松の木があるかどうかは定かではない。
枝ぶりのよい立派な松の根元にもたれかかり,水平線のかなたへ沈みゆく金色の夕陽をめでつつ,舞い落ちる桜のひと片ひと片をおもい浮かべる・・・幾度となく夢想した人生のオワリの光景だ。
まあ,思いどおりのところが見つからなくても,贅沢はいわないさ。海が見晴らせるなら,どこだってかまわない。日付が変わらないうちに,かならず自尽を遂げるつもりだ。
戸外へ出て,玄関ドアに施錠をする。
午前9時をすこし回っていた。
マンションの共用廊下で立ち止まり,おもわず顔が綻んでしまう・・・一年前の蒼天をあおいだ日と同じく,春の朝陽が柔らかく射し込んでいた。
あのときの奇妙な感覚はウソではなかった。デジャブではなく,あれは未来に対する確信だったのだ。
その光と・・・コトバを交わす。
『ジタバタするなよ,サイゴになって!』
『わかってるさ,それぐらい』
・・・あばよ。わが家にも別れを告げ,私はブラックの愛車にどっかりと腰をおろした。
さあ,行こう,新たなる地獄へ!
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