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1月, 2023の投稿を表示しています

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(9)   真子が金沢を去ってから3年が過ぎ,やがて冬を越して,私はいつしか 41 歳の誕生日をむかえた。 それから少し経った4月の中旬・・・ちょうど花見の時期がおわったころ,私にとって予想外の事態が起こった。生まれ故郷の富山県で一人暮らしをする母が,子宮がんを患って地元の総合病院に入院したのである。  急なことで連絡を受けた当日には時間の都合がつかなかった。日ごろは肉親のことなどまるっきり忘れて生活していたくせに,この時ばかりは不義理を重ねたぶん余計に母の病状が心配になり,元気づけるために一刻も早く行かねばという焦燥感に駆られた。 次の日の午後,勤務を早退して高岡市へと向かう。 車を走らせながら取りあえず入院時に用意するものが気になったが,着いてみると母の友人が骨を折ってくれたようで案じるほどのことは何もなかった。ただ,なにかしらこころに引っかかるものがある。ふしぎにも知りもしない父親のことなのだ。 おもうに,家族の意向を考えてしまう医師の習性であったのだろう。    私は,父に会ったことがない。幼いころに会っていたのかもしれないが,記憶に父親の顔はない。母は,私が成長してからというもの,父のことに関して口を開こうとはしなかった。 行った日の夕暮れどき,ようやく病室でそれなりに過ごせた母は近ごろの体調についてあらまし言い終えると,だしぬけに父親のことを語りだしたのだ。   「コウちゃんのお父さんは,じつは医者だったのよ・・・」 母はナースとして定年まで働いていた。自分が医師になって医療の職場がわかるからだろうか,打ち明けられても私には大して驚きはなかった。 「びっくりした?」 「いや,べつに。おれは,親父にはまったく興味がないから・・・」 「コウちゃんは,医者になったからじゃないけど,あの人にとても似てるっておもうわ。うれしいことなのにね,どうしてかしら,不安に感じるときもあったのよ」 笑みを浮かべる母がふいに真顔になった。「あの人には,よくわからないとこがあったから・・・」  こんな年になって親父のことを聞かされも仕方がないとおもった。しかし母の言葉が妙に頭のなかで反響して消えていかない。 いままで私は,自分の性格をだれかから受け継いだ,などと考えたことは一度...

( 8 )

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(8)    真子が東京へ帰ってから,嵩子とは気兼ねなく逢える状況に置かれたのであるが,これまでと同じように私はたずねる回数を制限して付きあっていくつもりでいた。 というのも,嵩子は変わりつつあった。   9月,真子が金沢を離れる準備に追われながらも送別会へ出かけたとき,久しぶりに嵩子のもとへ足を運んだ。 そのおり見慣れた部屋に入ってすぐ目にとまったものが,鴨居に貼られたコピー用紙・・・それには筆ペンで詩歌的なものが書き記されていた。 『小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに』  そういえば,近ごろの嵩子はナニカを悟ったような雰囲気があって,ひと頃のように過敏なこころで物事を悪いほうに決めつけることもない。詩句はちょうど彼女のこころの持ちようを言い表しているみたいだった。  この句は,嵩子と逢わなくなった後年に調べる機会があって,曻地三郎という著名な教育者の詠んだ和歌の一節であることが分かった。 『小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに コスモスの花咲く』 どのような経緯で彼女がウタに出合ったのか,詩句にかんして言葉を交わしたことはなかったから今となれば知るよしもない・・・が,それは分からなくとも,いつまでも色褪せない安らぎさえも覚えるフレーズは,ずっと嵩子と対をなして私のココロの泉にある。    もう一つ後年になって確信を得たことがある。 例の発作のことだ。 クリスマスイヴの大事件以降,彼女と逢瀬を重ねていてもそれまでのことがウソのように発作は一度も起こらなかったので,いつしかキレイさっぱりと忘れ去っていた。 ところが離れて暮らすようになってからは,嵩子のことを思いだすたびに決まって,あの発作の正体はいったい何であったのか・・・と気にかかり,医師としても強い関心を抱くようになった。 思い返してみると,多彩な様相を呈していたので普通には単一の疾患とは考えにくい。けれども背景には共通点があった。言うまでもなく精神的ストレスである。それを手掛かりにインターネットで検索を重ねるうち,記憶にのこるすべての異状を説明可能な,ある疾患群におもい至った。 解離性障害!  以前から多重人格と呼ばれる解離性同一性障害はあまりにも有名であるが,それ以外にも解離性障害は存在...

( 7 )

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(7)    バラ色の人生なんぞ未だかつて望んだこともないが・・・とはいえ 34 歳でむかえた新しい年は,いかんともしがたい恋心に彩られてあやしく光り輝いていたのだ。たとえ齎される陰翳の深みはソコしれず,その深淵に生命をおびやかす得体のしれない魔物がひそんでいようとも。   元旦,初日の出をおがむ。 その年・・・嵩子は 28 歳,真子は 23 歳。  年末年始のあいだ,真子と私はふたりで生活するための準備にあれこれと追われていた。掃除をしながら部屋の模様替えをしたり,おそろいの食器や不足している日用雑貨を買いに出かけたり,クッションとか揃えたいグッズを見に販売店へ幾度も足を運んだり,等々。 ただ,そうした悦ばしい慌ただしさの只中にあっても,ちょっと息抜きをする合い間には必ずといっていいほど,昨秋の告白した夜に起きてしまったあの悲劇が脳裏をよぎった。 ・・・この日々を嵩子はどのようにやり過ごしているのだろうか? 真子はといえば,信じているといわんばかりに何ひとつオンナのことを訊ねようとはしなかった。いちおう訊かれたさいの心構えはしていたものの,到底みずから打ち明ける気持ちにはなれなかった。どだい関係をきっぱり清算するのが当然であったから事実をありのままに告げることもできない。必然的に,とっくに別れてしまったかのように振舞うしかなかった。  正月二日,午前9時半すぎ,病状のすぐれない入院患者を診察しに大学病院へおもむいた。ついでに,というよりそれも目的で・・・公衆電話から嵩子と挨拶を交わすつもりだったのに,かけてもかけても呼出音が鳴りつづけるばかりでつながらない。取るに足らないことにも心がざわめきはじめる。無理をおしてでも彼女のところに立ち寄らねばならなかった。  アパートが近づくにつれて胸の内は一層ざわついてくる・・・その一方で,不吉な事態を予想することは現実になってしまいそうで憚られた。 しかし午前 11 時ごろ,玄関からリビングへ侵入したとたん,うずまく不安が一気に凝固して青ざめてしまった。足しげく通ったころからは想像もつかないアリサマが眼前に広がったのだ。 ・・・洗ってない皿と小鉢がローテーブルにいくつも重ねられ,真ん中には食べさしのカップラーメン。 なかの麺はふやけてしまい,割り箸がさも意味...